あっという間の進歩。
様々な場面で加速度が付いている。四の五の言ってはみても、確かに自分だってラクな方へ流れてるしな。
ここを発行する前には一応、何度も読み返し、都度チェックを入れる。その際、昔と違って辞書を引くのではなく、ネット検索をかける。つまりラクで便利を優先している。
それがここ最近、ネットで言葉の意味や言換え表現を探すと何と一番先に提示されるのがAIによる回答になった。
昭和時代に憧れどこか固執する自分は、瞬間にどう考えても文章に違和感を覚えて嫌な感じに陥る。
確かに時代の変化と共に変わるのが常ではあるが、実にツマラン回答でそのことからイメージが拡がらないと感じる。
恐らく単なる年寄りだからか。今の若い世代は、これの方が安心して信じられるのだろうか。
でも、自分は以前までの各出版社の辞典なりの集約や使用例の転載に人間の温もりを感じさせられる。
それでこちらの創作意欲も刺激されると再確認した次第。
で、自室にある古い辞書で紙の感触を思い出すのも、老化減少に歯止めがかかるかと規定してみる。
やはり、ある程度は進んで不便さを確認する作業は自分だけかもしれぬが、ボケ防止や人間としての営みを思い出させてくれると信じたい。
まあ、今少しでも辞書をめくると字の小ささに頭痛が起きるのが事実なのだが。
ならば別な読書でも思ってはみても、既に秋の夜長は終了しているよな。


