スタッフ
監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ
製作:ジュリアーニ・G・デ・ネグリ
脚本:P&V・タヴィアーニ、G・G・デ・ネグリ
撮影:フランコ・ディ・ジャコモ
音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
キャスト
ガルヴァーノ / オメロ・アントヌッティ
コンチェッタ / マルガリータ・ロザーノ
コッラド / クラウディオ・ビガーリ
ニコラ / マッシモ・ボネッティ
ロザンナ / サビーナ・ヴァヌッキ
司祭 / ダリオ・カンタレッリ
イヴァーナ / ノルマ・マルテッリ
マーラ / エンリーカ・マリア・モドゥーニョ
ナルディーニ夫人 / ラウラ・マヌッキ
日本公開: 1983年
製作国: イタリア ライ&アゲール・チネマ作品
配給: フランス映画社
あらすじとコメント
前回の「平和に生きる」(1947)は大戦末期のイタリアの寒村で負傷米兵を巡る騒動を描いたドラマだった。今回も同じく大戦末期のイタリアの田舎村の話で、完全なる反戦映画。
イタリア、トスカーナ
大戦末期、ドイツ軍が駐留しイタリアのファシストたちも協力して管轄している村があった。村外れには兵役逃れをして隠れている青年や抵抗運動に加担し追われて密かに戻ってきた青年などもいた。
そんな村に不確かながらアメリカ軍が近付いてきているという噂が流れ始める。その矢先、ドイツ軍は司祭を通して教会に全村民を参集させるようにと命じた。
そこで発令された内容は、ある程度村を集約し、離れた場所の家屋は破壊し、無暗に出歩く村民はその場で射殺されても仕方ないという布告。どうやらアメリカ軍の話は本当のようだ。
各家族たちが参集してくるが、その中にガルヴァーノ(オメロ・アントヌッティ)がいて、どうにもドイツの陰謀を感じると言いだし、アメリカ軍の情報は間違いないから、こちらから探しに行こうと提案すると司祭が嘘を付くわけがないとの反論する意見も起きた。
結局、賛否が二分されて・・・
戦時下の人間たちの混乱を厳しい視線で描く反戦映画。
冒頭は当時6歳だった少女の回想から始まる。タイトルにもある「サン・ロレンツォ」とは場所でなく『聖人の日』を指す。
カトリックの総本山がある国だけに、ほぼ毎日に聖人の名が存在し、個人名にもしばしば誕生日の聖人名がつけられるという。つまり個人名で誕生日が特定出来ることも多いお国柄。
この「サン・ロレンツォ」の夜は、願い事が叶う日として伝わっている。
その内容が現在は大人になった少女の独白形式で語られ、戦時下へと戻っていく冒頭。
そこには様々だが牧歌的で戦争よりも、どこか家族単位での行動をとる村民たちが紹介形式で綴られていく。
一応、他人を尊重するというか興味がない風情にも見える人々が多い。
長く続く戦争に疲弊しており同盟国だったドイツの管理下だが、どうにも信じられないと感じる人や、心底ムッソリーニに心酔するファシストなど本当に極端で様々。
ドイツ軍を信じ座して待つ組。逆に出て行こうとする行動派に二分化されるあたりから、妙に嫌な雰囲気が漂いだす。
そしてその嫌な感覚が嫌でも当っていく展開となる。
どの登場人物も等身大、つまり当時の農民が多く、頭脳明晰なり統率力に長ける人間は存在しない。
それが何を生み、何を混乱させていくのか。戦時ということもあり、老人だろうが女性だろうと子供たちに至るまで素直さや無知が、いかに残酷な展開を生んでいくのかという絶望感に近い感情を喚起させてもくる。
何よりも強調されるのは宗教の無力さ。カトリックの国にしてこの設定は恐怖感を掻き立てる。
要は全編を通して嫌な方へと導いていかれる進行。ゆえに声高なる反戦映画として確立されている。
ただし、個人的には本作に於けるタヴィアーニ兄弟の演出はワイプや移動撮影といった実に作為的ばかりの画面構成で鼻白んだ。
素直に観て行くと敢えて突き放すようなショットを挿入したり、違和感しかない変調など感性を逆撫でしてくる。
もしかして、本作を鑑賞し感動する観客は、登場人物とまったく変わらないレヴェルと思っているのかとも感じてしまった。つまり、監督側の英知による誘導で平民たちは勉強し、挙句に感動せよと。
ゆえに個人的には相容れなかった。ただ、人間は逞しさがないと生きていけないとは嫌でも教えてくれる。


