やっと冬季オリンピックが終わりそうだ。
変化を恐れるというか、日々是通常運転が好き。
日課である朝のTV天気予報のハシゴ見をしつつ、番組や予報士によって微妙に最高気温とかに差がある。その中で、どれを信用しようかと思ったりするのが、せめてもの「変化」というか「差異」の受け入れ。
しかも大体放送時間が決まっているのでザッピング。なので時計代わりでもあるのが日常。
ところがイタリアとの時差の関係で3時半ぐらいに起床してTVを付けるとリアルタイムで競技中継中。
いつも通りの番組を見られないことに閉口。深夜というか早朝に、大声で煽る解説者などウルサイ黙れコノヤローとブツブツ呟いてから消すなり他局へ変える。それでも日によって放送するTV局も変わるから、何ともややこしい。
でも、どれ程の日本国民が喜んで見ているのかと思うと不安になる。単純というか、素直というか、脳ミソをほぼ使うことなく一生を終えていくんじゃないかと思って。平和で良いですね、と。
スポーツはするのも見るのも大嫌い。自分がしてきた競技でもなく、どうなるのかとハラハラドキドキするのが大嫌い。あれでアドレナリンがと言う人も、ちょっとね。
どこまでも自分本位でそこいらの奴らと一緒になりたくないと心底思い行動する天邪鬼。
それが、やっと日常に戻るか。
それでも嫌でも五輪情報は入ってくる。メダル獲得が史上最高とか、国威発揚のような騒ぎ方。いいかい、日本人なり経済が世界的に通用したのは四半世紀以上前でしょうが。それを無視するように騒ぎ立てる。
自分を筆頭にラクを覚え他人任せで文句のみ。バブルが弾けて以降は意気消沈の時代。そんな世代に生きた親や年長者に育てられ、オリンピックやイヴェントごとに狂喜乱舞する単純タイプに育てられると更に劣化が進むんじゃなかろうか。
しかも、冬季五輪には不良やヤンチャキッズの印象しかない、新しめの競技もある。その参加者の中には、まずもって日本語として成り立たない、つまり読めない当て字の名前もいる。
キラキラネームとか呼称される類のもの。難解なクイズみたいな名前だが、それは明治時代だって同じだったんだろうと言われればそれまで。女性の名前に漢字が使われたり、「〜子」になったり。
それなのに昔よりメダルが取れるんだから驚きだ。根性論や精神論は過去の価値観。だって、その時代より確実にメダル獲得しているのだから。
間違いなく練習なり努力はハードにしてるだろうが、見た目のイメージとのギャップしか感じられない。
それでも獲ったメダル数は過去最高が事実。自分の好き嫌いなんかどうでもよいことだなと思い知らされた冬のイタリアだより。
でも、やっぱり興味はないんだよな。天気予報の外れ方のほうが余程安定感があるし。


