余談雑談 2026年2月28日

好き勝手に振る舞うのは自由ではなく、身勝手だよな。

解釈の違いなのか、敢えての確信犯なのか。時々、互いを「先生」と呼び合う得票命の方々。

少し前だが、先生のくせに言った意味と違う、つまり曲解されたと発言し、後に「言葉足らず」と言い訳的に言い直した御仁がいらっしゃった。

先生と呼ばれて自らを否定しないタイプなら、少しぐらい頭を使って言動すべきじゃないのと思う。しかも常に。

かといって何も話さないのも違う気もするが、それでも違うだろ、アンタに足りないのは別なもの、と言いかけて調べたら、どうやら今では差別用語になっていると知った。

人間の「鼻」から「目」の上にある部位の中にあるもの、と言えば良いのかもしれない。というか、ちゃんと機能するよう存在しているのでしょうかと疑問符が付く。

それでもダメか。じゃ、「ピーマン」なら宜しいのかね。大分懐かしい表現だが。

確かに、現況では『まとめ』と称した何でも短いのが好まれる傾向ではあるが、『切り取り』も同じ意味で使われている。

なので意図しない部分だけを抽出され曲解されたと。

一理とも感じる。呼称が先生同盟の方々は昔から意味不明瞭な言葉でやり過ごしてきて、自分に意図するのとは違うと平然と言ってこられたよな。

ならば先生と呼び合わない平民だって、お偉いさんが仰るのだから真似しても良いよねと伝承されてきての現況かね。

それにしても偉いと自惚れる人らも個人的には無理に説明をこじつけるのは屁理屈だとも思うのだが。

でも現状のまとめや切り取りから考えたら、一応、「理屈」は理屈と捉えたい。こじつけでも考えているということで。

ならば言い訳よりも知的要素はあるのだろうか。

でもな、がつくよな。

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