ロッキー  - ROCKY (1976年)

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スタッフ
監督:ジョン・G・アヴィルドセン
製作:R・チャートフ、I・ウィンクラー
脚本:シルヴェスター・スタローン
撮影:ジェームス・クレイブ
音楽:ビル・コンティ

キャスト
バルボア / シルヴェスター・スタローン
エイドリアン / タリア・シャイア
ポーリー / バート・ヤング
アポロ / カール・ウェザース
ミッキー / バージェス・メレディス
ガッツォ / ジョー・スピネル
ジャーゲンス / セイヤー・デヴィッド
トレーナー / トニー・バートン
アナウンサー / ビル・ボールドウィン

日本公開: 1977年
製作国: アメリカ チャートフ・ウィンクラー・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

アメリカの監督ジョン・G・アヴィルドセン。低予算ポルノから出発したが、本作で一躍有名になった。観たことがなくてもタイトルぐらいは誰もが知るであろう有名シリーズ第一作。

アメリカ、フィラデルフィア

場末で賞金稼ぎのボクサーをするロッキー・バルボア(シルヴェスター・スタローン)は、それだけでは喰って行けずマフィアのボスに依頼される借金取り立てもしていた。

そんな彼には心を寄せるペット・ショップ勤務のエイドリアン(タリア・シャイア)がいて、彼女は精肉工場に勤める兄ポーリー(バート・ヤング)と二人で暮らしている。

何とか明日に希望をと思っているが、根が単純で上手く行かないバルボア。その上、6年も通うボクシングジムから、取り立て屋なんぞに教えることはないと放り出されてしまう。

何ともツイてない人生だと呪うが、そんな時、ヘヴィー級チャンピオンのアポロ(カール・ウェザース)の対戦相手が辞退したことから、無名のボクサーに夢を与えるとバルボアに声が掛かって・・・

場末で生きる単純な負け犬ボクサーの再起を描く有名作。

夢も希望もなく場末で蠢くように生きている主人公。

好きな女性が出来てアタックするが、その娘が何とも地味なタイプ。兄は食肉工場勤務で、主人公同様にどこか投げやりなタイプ。

そこに「アメリカン・ドリーム」の体現者であるチャンピオンが主人公に目を付ける。

しかし、当然実力が違い過ぎて勝てるわけがない。しかも15回戦だが、間違いなく3ラウンドでKO負けだろうと誰もが想定する。

それに反して不屈の闘魂で必死に戦っていくという単純な筋書きである。

無名の下っ端俳優で端役専門であったスタローン自身が脚本を書き、それこそ教養は関係なく単純なるアメリカ的な夢を叶えるストレートな映画は誰にでも受けると踏んでいたのだろう。

しかも当初からシリーズ化を考えていたのか、単純にチャンプを倒して大金星というハッピーエンドに設定してないのも、好感が持たれたのであろう。

結果、世界的に大ヒットしスタローンは超有名俳優になり、シリーズ化した本作の監督も兼ねるようになっていく。

彼自身、単純で肉体を武器にするアクション映画を何本も世に送り出した才能は大したもの。

ただ、本作がシリーズ第1作でもあり、ヒットの要因は監督がスタローン自身ではないゆえであろうと強く感じた。

スタローン同様、ポルノ映画からスタートし、名優ジャック・レモンに悲願のアカデミー主演男優賞をもたらした「セイヴ・ザ・タイガー」(1973・未)で脂が乗りだした頃のジョン・G・アヴィルドセンの実力ともいえる。

場末感を漂わす中でストーリィを進行させ、主人公なりの絶望的な立ち位置をあぶり出し、どこか付かず離れず、否や一定の冷めた距離感を保ちつつ寄り添うように追っていく。

それにより単純なストーリィと登場人物たちのそれぞれの孤独感と疎外感を描いていく。

深く頭で考えさせるのではなく、それでいて自分の友人にきっと一人はいるであろうタイプとシンクロさせ映画に引き込んでいく手法は大したもの。

しかもアヴィルドセンが好んで起用する脇役は場末感が漂い、決して伸し上がれないと思しきタイプ。その上、背丈が小さいとか小太り、頭髪の薄い御仁と何とも等身大というよりも、容姿から見て蔑まされるタイプが多い。

ところが、それが実に生き生きと画面上で躍動するのである。本作でいえばヒロインの兄役バート・ヤングと老トレーナー役のバージェス・メレディス。

その証拠に上記の二名も継続参加しているが、2作目以降のスタローン演出とは明らかに差異があると感じる。

スタローン自身が脚本を書き監督するのは、ワンマン映画として本当に自分が描きたいスタイルが反映されるが、本作は監督が別人ということで成功しているとも感じる。

もしスタローンが監督していたら別な印象、つまり低予算の思い入れ最優先の自主映画的な印象を受けたであろうと推察する。

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