年が明けた。現在、東京はまだ日の出前だが晴天予報。それにしても寒い朝でもある。
晦日も大晦日も買出しとランチに外出したが、何がどうしたのか朝10時にはガラガラとトランクを引き摺る若い仲良し観光客や、コスプレ風着物姿の女性、三世代家族やら、妙に増加している外国人観光客グループが跋扈して大混雑だった。
この2年のコロナ禍で、余程鬱憤が溜まった人々が、これほど多くいて新規株など関係なしに観光を楽しむ。しかも、まだ年末に。これで年が明けたら、有名初詣スポットなので、どれほどの人間が押し掛けるのか。
人混みが大の苦手な自分は、逆に巣籠り決定だなと思った。何せ、簡単にランチにも出歩けない。
一昨年春の第一波来襲時の環境に戻ってはくれないかと心から祈念した。それこそ、昭和40年代後半からの地元下町の再来である。
丁度、ビートたけしが売れない芸人でストリップ劇場のエレベーターボ−イをしていたころ。映画館が次々と閉館し廃屋的に放置されたり、空き地をフリマ的に使ったり。それでも観光客など皆無でゴーストタウンの印象だった。
あの寂寥感がたまらなく好きだった。TVで見る往年の漫才師や高い着物を着こなすヴェテラン落語家が普通に寄席や小屋に出入りする姿の日常。それも、今のスマホと違い簡単に撮影できないからカメラを向ける観光客も皆無。
そんな印象も半世紀も前のことで干支も既に四周りはした。今年は「丑」から「寅」だ。
さて、どのような年になるのだろうか。頑張ることはせず、祈るか願うという神頼みばかりで努力などしない性分。それで何となく長年やり過ごしてきた。
それでも寄る年波以上に衰えを感じ、去年の「うし年」は、早寝が過ぎて深夜2時の丑三つ時に目が覚めるようになった一方で、「土用の丑」に鰻を食べる豪勢な生活もできなかった。
それが神様からの答えなのだろうか。確かに、世界を席巻した禍にも関わらず、自主規制は少しだけお付き合いして、後は自己最優先で、更に何の根拠もなく罹患もしないし、させないとも思っていた不届き者。
で、今年の「寅年」はどうなるか。個人的な明るい兆しとしては、1年半以上にもなる足の骨折も目途が立ち、来週にボルトを抜く手術がある。まあ、肩の骨折時で経験済みだが、元の完全形には戻らないが。
それに禍も喉元過ぎた感も漂うし、『フーテンの寅』の如く気儘に全国を旅することが出来るようになるのも夢だな。ところが、一方で編集バイトが11月で打ち切られ収入がストップ。
となると旅行はおろか、飲酒にも確実に影響が出る。それでも、仕事はしたくないというワガママ気ままな性分。かといって天下の二枚目でもないから美女に寄生して生きるとか、怪しげな水晶玉を売るとかもできないだろう。
何だか、「丑寅の方角」は鬼門とか言うよなとも思い出す。まあ、それは自分だけではなく皆だし。
嫌でも少しは、仕事のことでも前向きに考えるべきか。とはいってもいつもと同じことしか想起できないんだよな。手術ミスで長い間入院で保険金稼ぐとか、青信号になった途端に横断歩道を渡りだす的なこととか。でも、継続的な収入には繋がらないな。
2022年で令和4年か。分解して足し直すと2+0+2+2に、令和は0だし、それに+4。結果、「10」になってブタ。おっと丑でも寅でもなかったか。
博打はしないくせに、こういうことはすぐに頭に浮かぶ。何だか、元旦からため息が出そうだ。
少しは進歩するのか。それとも退化するのでしょうか。さてさて、どんな年になるのかね。
読者の皆様、今年も引き続きご愛読の程宜しくお願い申し上げます。