しばらく振りにTVで「ガリ版」を見た。ロウ原紙に鉄筆で書いて、インクを乗せ刷るスタイルで、一定年齢以上の人たちしか知らないか。
とうの昔に当たり前でなくなったが、温故知新としてワークショップで印刷までの経験ができるという番組だった。手製の温もりというか、簡単には上手く出来ないのも妙味として楽しむ習慣が増えたのかと微笑ましく見た。
それで思い出した。自分の小学校最後の年だったか、担任の発案で『ガリ版』で学級新聞を発行することになった。学級委員の男女二名が先生協力のもと、わら半紙一枚で、確か月二回の発行。
最後はクラス生徒へのインタビュー。一応、共通の質問事項を決め、毎回男女二名ずつ。
当時から、自分最優先なので一番先に来ると思っていた。しかし、名字の「あいうえお」順。
それでも、自分の番が来たときに『目立とう精神』で質問事項に好きな天気の項目があり、誰も言わないであろう「嵐」を選択した。今、思い出しても流石の自分だね。
成程、だから日本大躍進の経済成長下で終身雇用の時代に、通信簿に「活発だげど協調性に欠ける」と書かれたのだ。両親に苦虫を噛み潰した顔にさせてしまった記憶も併せて蘇った。
まあ、それで現在があるのだけど。周囲に気を配り和を乱さずにバランスを取り生きて行くことは不可能。でも、ストレス・フリーには有効だ。
その上、料簡の狭い人間。だからスポーツやバンドなどチームで協力することは全般的に苦手で、独りで楽しめる映画鑑賞に逃げた。
そんな映画鑑賞だが、洋画は今やすっかり影を潜めたが、字幕は手書きで縦書きだった。これも一定年齢以上の人しか覚えていないだろうか。現在は下に印字されるが、昔は下にでるのは70ミリやシネラマといった大画面用だった気もする。
その字幕、独特の筆致体でどこかガリ版刷りをイメージした。鉄筆ではなくカラス口で書き、やはり細かい字は紙が破れたりインクでベタっと字がつぶれるので、どうしても独特の文字になり、それが味にもなった。
しかも、現在と昔では一度に表示される文字数が違っているとか。当然、減っているのだ。眼で追えて理解できる能力が全体的に劣化しているのでしょうかね。
その上、ながら見が多く字幕より吹替が好きという人も多いらしい。電車内ではスマホでゲームを楽しみつつ音楽も聞くという器用なことが出来るからと思っていたら、映画を勝手に10分程度に要約する輩も登場した。流石に逮捕されたらしいが、どれほど時短こそ美徳てな発想になったのか。
でもな、昔はTVの映画だって勝手にカットし、著作権などお構いなしに別な音楽を足したりしてたよな。
加速度が付きっ放しの時代。そらみろ、あっという間に年末だ。