スタッフ
監督:ルネ・クレマン
製作:セルジュ・シルベルマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ
撮影:エドモン・リシャール
音楽:フランシス・レイ
キャスト
カルド / ジャン・ルイ・トランティニャン
エリス / ロバート・ライアン
シュガー / レア・マッサリ
モットーネ / アルド・レイ
リッツオ / ジャン・ガヴァン
ミルナ / ティサ・ファロー
マジョレッテ /
ナディーヌ・ナビコフ
ジプシー首領 / アンドレ・ローレンス
マストラゴス / ドン・アレー
日本公開: 1974年
製作国: フランス セルジュ・シルベルマン・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
ストーリィの起伏性よりも独特な雰囲気で押してくるクライム映画で連想した。アメリカ映画とは違うティストだが、個人的には同じ匂いを感じる捨て難い佳作。
カナダ、モントリオールある事情からジプシーたちに命を狙われ、追われているカルド(ジャン・ルイ・トランティニャン)。
準備中の博覧会会場に逃げ込み、何とか難を逃れたと思った矢先、眼前で男が射殺される現場を目撃してしまう。そして射殺犯二人に捕えられ、彼の命運は離れた島に潜むエリス(ロバート・ライアン)に委ねられることになった。
カルドは、その一味からも逃げようとして連行されている車から一人を突き落とした。しかし、結局は捕まり、島に連行されて・・・
訳アリ人間たちの黄昏を描くクライム・ミステリーの佳作。
ヘリコプターでジプシーの祭を撮影中に集団の中に墜落して、子供たちを殺してしまった主人公。
首領は彼の殺害を決定し、フランスからアメリカ、カナダと執拗に逃げる彼を追わせた。
そこに持ってきて、何やら犯罪を画策している一味に捕えられしまう。
「前門の虎後門の狼」的立場に追い込まれてしまうが、ニヒルで二枚目、更に人たらしゆえに一味の女性や仲間を次々と味方につけていく。
作劇としては、なぜ主人公が追われているかとか、島に潜む一味の目的は何かとミステリー仕立てで進行していく。
生き残るために警察に追われる犯罪者だと嘘を付いて、一味に取り入ろうとする。だが、当然犯罪者ではないというのがミソ。
首領を含め、ボクサー崩れの頭の弱い巨漢男は本能的見分けで、彼が犯罪者ではなく「タダモノ」と察知するのだが、欠員がでた計画では彼の存在が必要になっていく。
本能的に色男として生きてきたフランス男のステレオタイプではあるが、『イヤラしさ』が匂い立つ。
ドンには、子供時代のトラウマがあり、それがドラマを左右していく。そのために何度か、幼少時代の場面が挿入され、ある意味の「あざとさ感」を醸しつつ進行していく。
本作でそれをすべて象徴するのが『ビー玉』。そこに本作がカラー作品として撮られた矜持を感じた。
純然たるフランス映画でもないし、ハリウッド作品でもない。舞台がカナダということ自体、多国籍というか、西欧文明圏内での犯罪者軍団として描いているように思える。
俳優自体の起用法もアメリカ、フランス、イタリア系であり、主人公を執拗に追うのは無国籍であるジプシー、更に劇中に登場してくる脇役の名前には、ギリシャ系まで登場してくる。
更に冒頭とクライマックスで登場するモントリオール以外に、地域性を排除し、描きたいのは別なところだと微笑むルネ・クレマン監督の心意気に鳥肌が立った。
それに呼応する役者たち。中でもアメリカ人俳優であるロバート・ライアンが際立って素晴らしい。
ハリウッド映画での悪役出身という彼の俳優人生の集大成的寂寥感を感じさせたのがアメリカ映画でなはいというのも個人的には感慨深いものがあった。兎に角、映画に人生を捧げてきた人間の『挽歌』として涙が浮かんだ佳作。