追跡者 – LAWMAN(1970年)

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スタッフ
監督:マイケル・ウィナー
製作:マイケル・ウィナー
脚本:ジェラルド・ウィルソン
撮影:ロバート・ペインター
音楽:ジェリー・フィールディング

キャスト
マドックス / バート・ランカスター
ライアン / ロバート・ライアン
ブロンソン / リー・J・コッブ
ローラ / シェリー・ノース
ルーカス / ジョセフ・ワイズマン
ジェイソン / ジョン・ベック
アダムス / ロバート・デュヴァル
プライス / J・D・キャノン
ホィールライト / リチャード・ジョーダン

日本公開: 1971年
製作国: アメリカ シュミター・フィルム作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

前回の「ネバダ・スミス」〈1966〉は、強烈な執念で復讐をする男の話。今回も、強烈な信念を持ち、孤立しながらも貫き通す『男』を描く西部劇。ヴェテラン俳優たちの競演が印象に残る挽歌的ウェスタン佳作。

アメリカ、ニュー・メキシコ小さな町サバスに、別な町の保安官マドックス(バート・ランカスター)が7人分の逮捕状を持って向っていた。

その報は、町の実力者ブロンソン(リー・J・コッブ)の耳にも入った。息子を含む7名が、牛追いのさなか、マドックスのいる町で酔って騒いだ挙句、老人を殺してしまった。そして素知らぬ振りで帰宅していたのだ。

つまり、息子らの引き渡し要求にやって来るのだ。昔だったら、マドックスを殺せば済んだが、今や時代は流れ、そんな単純なことでは済まない世の中になったことも知っているブロンソン。

そこで彼は、息のかかったサバスの保安官ライアン(ロバート・ライアン)に穏便に済むように頼みに行くが、ライアンは絶望的に首を横に振った。彼は無理だ。説得も買収も一切受け付けない奴だ、と。

困惑するブロンソンだが、牧童の一人がやってきたマドックスに既に射殺された仲間の仇だと決闘を申し込んで・・・

法律的正義を命を賭して順守する男の挽歌を描く好編。

正論を大上段から振りかざし、順守しなければ躊躇なく殺す。しかも、相手が先に銃を抜いた場合のみという正当防衛として。

要は滅法腕の立つ男で、冗談も言わないような生真面目一本で生き抜いてきた『正義漢』。

荒くれ西部時代を生き抜いてきた主人公、大地主、地主の息のかかった穏健派保安官などのヴェテラン勢はどこか諦念というか、人生の黄昏を痛感している。

しかし、地主側のカウボーイたちは息子を含め、血気盛んだ。

その温度差。分かりやすい世代格差が存在し、無茶をすれば人生は即座に終了すると何人もの犠牲者を見続けてきて達観している老境組。

それぞれが人生の経験値で変貌するのが圧倒的だろう。しかし、主人公は、絶対に変わらない。

絵に描いた「頑固者」で「正論」と「正義」でやり通す。

しかし、それが自分で弱い人間たちを更に悲劇へと導いていくことも理解している。そのジレンマ。

何とも正義の味方なのに感情移入ができない主人公。正義のためには、人間性すら排除し生きていくのが「正義漢」なのか。

完全なる『勧善懲悪』の内容なのに素直に喜べないのは何故か。昔であれば、先住民が単純な野蛮集団で、それをバッタバタと撃ち倒していく姿に喝采を送った自分が恥ずかしくもなった。

一体、正義とは何なのか。初見当時、自分も主人公ら同様、成長するとは、この手の気持ちを喚起させられるのかと複雑にもなった。

やがて内容としては、主人公の心情にも人間らしい変化が訪れるが、周囲が逆にそれを許さない負のスパイラルが起きていく。

牧場主役のリー・J・コッブの無学ではあるが 頑固親父として息子への複雑な心情を漂わす演技は、真逆な性格設定ながら「十二人の怒れる男」(1957)での陪審第3号のイメージに重なった。

牧場主側保安官役のロバート・ライアンも、実に枯れていて「人生から降りた」感があり、西部劇自体の終焉をも連想させる。

主人公の心を動かす昔の恋人役のシェリー・ノースの疲れた色気など、俳優たちのアンサンブルが見事でもある。

中でも一番興味深いのは、監督を筆頭にスタッフが、ほぼイギリス系であること。

だから、アメリカ製西部劇と違う、妙な枯れ感が漂うのか。

ひっそりとしているが、今ではそうは呼ばれなくなった「二級酒」のような味わいで、好きな作品だ。

余談雑談 2020年9月19日
JR山手線のガード下。以前から、あちらこちらで再開発が進んでいたが、今度は「有楽町」と「新橋」間だ。 昔から、煙が立ち上る焼き鳥屋街的ガード下で有名だった。日比谷側は帝国ホテル通用口やら、東日本大震災直後はメディアやデモ関係で騒乱状態だった