余談雑談 2020年7月18日

武漢肺炎め。先立て、古い付合いの奴が営むローマ風のピッツァを食べさせる店に、一年以上振りに行ってみた。

東京でも「超」が付く一等地に構え、地元住民にも愛される店に育っていた。当然、無粋な自分は似合わぬ店であるが、何せ、40年近い付き合いだ。

元々彼は、北陸から新卒で上京し、イタリアン・レストランの超有名店に勤めた。バブルの頃は、予約の取れぬ超高級店で、芸能人やスポーツ選手を、毎回誰かしら見た記憶がある店。

経営者はローマ出身の三兄弟でイタリアに傾倒していた自分は、生意気にも有名店になる前から通い、三兄弟に可愛がられた。

何せ、イタリア料理と言えば、ミートソースにナポリタン、ピッツァでなく『ピザ』であり、アメリカ経由で広がった料理という印象の時代に、他人と違う個性をイタリア人同様に主張していた若僧の自分。

それで良いのだと承認され、年越しの常連のみのパーティーでは、一般席ではなく、末席の家族席に座らされ、お前は客じゃなく家族だと言われて泣いた記憶がある。何たって、三兄弟の誰もがタイプが違うが、超個性派揃い。

その後、ローマに行く度に、本店に顔を出すと毎回歓待してくれて、一度も金をとられたことがなかった。申し訳ないと払おうとすると真剣に怒られた。

良いか、東京は支店で家賃も高いが、ここは本店というか、自分の家だ。お前は、自分の家に友達を呼んで金をとるのか、と。

今はピザ屋のオーナーも、頬が赤い朴訥な青年で、自分のことを特別な存在だと思っていたらしい。

普通、超VIPは、下へも置かぬ接客で、「社長」とか「先生」と呼ばれて、さも当然というスタンスの方々というイメージだった。

ところが、自分はまったく真逆の接客であった。とてもフランクで、家族的接し方で、従業員からも同じ接客を受けていた。実は、それがイタリア的な最高級のもてなしなんですと語ったピッツァ屋オーナー。

だから、年齢に関係なく、あのレストランでは、超VIPだったんですと笑っていた。

今や立派なピザ屋の親父になった彼が、ポツンと寂しそうに言った。80代後半で残っていた三兄弟の次男坊が、武漢肺炎で亡くなっていたと。

最後にイタリアに行ってから四半世紀が経ち、有名イタリアンも10年以上前に経営権を全く無知な成上りに売り払った。

それ以降、三兄弟には誰にも会えず、長男と三男坊は既に他界したと知っていた。

そして最後に残っていた次男坊さえも、今回亡くなり、これである意味、自分の中で、一つの時代が完全に終焉を迎えたと感じた。

骨折はするし、今年はどこにも旅に出ていない自分。ウィルスは変化を遂げ続けて、再流行だ。もう、イタリア訪問はあきらめた。

でも、せめて、国内旅行にはひっそりとでも行きたいものだ。

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