デリンジャー – DILLINGER(1973年)

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スタッフ
監督:ジョン・ミリアス
製作:バズ・フェイトシャンズ
脚本:ジョン・ミリアス
撮影:ジュールス・ブレンナー
音楽:バリー・デ・ヴォーソン

キャスト
デリンジャー / ウォーレン・オーツ
パーヴィス / ベン・ジョンソン
ネルソン / リチャード・ドレイファス
ビリー / ミシェル・フィリップス
ピアポイント / ジェフリー・ルイス
ヴァン・メーター / ハリー・ディーン・スタントン
セイジ / クロリス・リーチマン
フロイド / スティーヴ・カナリー
マーティン / ジョン・マルティーノ

日本公開: 1974年
製作国: アメリカ アメリカン・インターナショナル作品
配給: 東宝東和


あらすじとコメント

前回は恐慌時代に行われた「ダンス・マラソン」の話。今回は、同時代に名を馳せた実在の犯罪者にする。西部劇の終焉をもイメージさせる力作。

アメリカ、インディアナ地方の銀行を襲撃し金を強奪するデリンジャー(ウォーレン・オーツ)一味。しかし殺人はせず、一般人は巻き込まない主義であった。

それなりの有名人だが、恐慌下の時代、殺人をも厭わない凶悪ギャングが複数おり、FBIの凄腕刑事パーヴィス(ベン・ジョンソン)は他の犯罪者撲滅に躍起だった。何故なら、広域で犯罪を犯しておらず、「連邦犯罪人」すなわち全国指名手配犯ではなかったからだ。

ただし、そうなるのは時間の問題であり、それまでは他の犯罪者への対処を優先しようと決めていた。結果、次々と血も涙もなく犯罪者を血祭りに上げていくパーヴィス。

一方のデリンジャーは、州警察の反撃などもあリ、仲間を失ったり、増やしたりしつつ犯行を重ねて行くが、警察の待ち伏せに遭い、遂に逮捕されてしまうが・・・

実在した犯罪者の姿を追う挽歌的アクション・ドラマ。

無学で自己主張の強い犯罪者。ただし、先住民風情の女性には滅法弱い。決して殺人は犯さないという信条で、仲間からの信頼も厚い。

そんな彼を追うのが主人公以上に豪腕というか、平気で射殺し、多少の周囲の犠牲も止むを得ないと行動する連邦保安官。

FBI長官の信任も厚く、州警察を格下と蔑み、単独で摘発に望んで行くタイプ。

しかし、お互いの存在を知っており、何か惹きつけ合うものがありそうだ。

当時の有名な犯罪者たちを次々と、血祭りに上げるFBI捜査官側と、離合集散を繰り返す主人公側を平行して描ていく内容。

凶悪で有名な犯罪者たちが、命乞いをしたり、助けを求めたりといった終末を迎えていく姿は「あわれ」だ。

そして主人公側の仲間たちもそれぞれの末路を辿って行く。

その姿に虚勢を張っているが、人間としての脆弱性が浮かぶ。

人権など無視され、単純な思考による殺戮の応酬。混沌として明日をも解らぬ時代ゆえだろうか。

誰もの心が荒み、犯罪者たちをヒーローと感じる子供たちや、義賊として認定する市井の人々もいる。

場所柄だろうか、降伏猶予も与えず、いきなり発砲し合う双方。まさしく、西部劇で描かれてきた、「人間も単なる獲物」という価値観。

しかもFBI側は、『国家』という優位性に立ち、手柄を独占していこうとしたりする。

それでいて主人公と、まるでデリンジャー以上に悪党と感じさせる捜査官との奇妙なシンクロニシティが描かれたり、登場人物たちの個性も際立ちドラマとしても飽きさせない。

それはサム・ペキンパーに近いが、ジョン・ミリアス節とも呼べる哀愁に満ち、やがて万感胸に迫る描き方に、これぞアメリカ映画の真骨頂を感じさせたから。

誰もが粗野で残酷性を持ちながら、妙な人間味が垣間見られる。

デリンジャーを演じたウォーレン・オーツの「とっぽさ」というチンピラ風情から、大人物の雰囲気を漂わせていく演技と、捜査官を演じたベン・ジョンソンが敵をしとめる前に必ず葉巻を咥えるというルーティン姿など、実に格好良く、B級役者ばかりだが、実に手厚い演技陣が居たんだなと、郷愁をも感じさせる力作。

余談雑談 2020年2月29日
霧雨的な雨空の朝。不意に、しばらく行ってないおばちゃんたちが営む食堂を覗きたくなった。 何てことはない、280円の「マグロのあら煮」でビール、180円の「あさり汁」を付けて、軽い丼物のランチが懐かしくなっただけだが。 確か、10時少し前の開