旅空からの配信。まだ沖縄滞在中であるが、今回も記憶に残る旅となっている。
発端は先週土曜日。月に数度ほど行くビヤホールで映像関係の仕事をする常連に会った。すると、これから忙しく年末まで仕事がタイトであり、最後の休みと称して翌日から沖縄へ行くという。
こちらは、そのまた翌日からだ。珍しい偶然で、ならば向こうで落ち合って飲みに行こうと。
楽しみにして出発。当日の早朝までネットで3種類の天気予想を見比べ、久々に晴れマーク一色で浮かれ、「雨男」の汚名返上だと喜び勇んで沖縄入り。
那覇も快晴で東京より日差しの力強さが全く違うと感じながら、仲間に到着メール。すると『台風発生ですって』と返信がきた。疑問符が幾つも頭の中に並び、それでも夜は合流して飲もうと。
ホテルで予報をチェック。あれ、本当だ。しかも沖縄方面に進行中。
こちらは翌日から渡嘉敷島に二泊の予定。不安を抱えつつ宿に再確認の連絡を入れると、那覇の乗り場で色々言われると思いますとの返答。実に嫌な予感である。
夜は現地の知人とも合流し楽しい宴だったが、台風は怖い。
翌朝、フェリー・チケットを買いに行くと翌日の出航は天気次第で、保障は出来かねますと。要は、嫌いな『賭け』である。
それでもキャンセルし、那覇に台風の最中、ノープランで五日も滞在など泣きたくなる。どれだけ勢力が強い台風なんだ。
結局、渡航を決めた。ただし、帰路は台風を考慮し、前倒しで翌日の朝便に変更。それでもフェりーは満員。島に着き、宿に行くと台風の件を尋いてみた。
恐らく朝便の高速艇は欠航で安定性のあるフェりーが夕方に出るのではとの予想。では、予定変更で一泊でと言うと、それが賢明でしょうと。
宿に荷物を置き、行きつけの食堂に、鼻薬用の土産持参で出向いた。実はこの店で親戚の家のように一日居座るのが常套手段。何せ、貴重品を無料で預けられる。
40歳を超えた変わり者の息子が一人でいて、母親は那覇の親戚の家に行って、中々、帰ってこないと嘆いた。
やはり、いつも通りネガティヴ。一人だけなので食事は作れないから、向かいの新装開店したカフェで食べて、と。全く、やる気があるんだか、ないんだか。
島は、本当に台風が来襲するのかと思うほど快晴。慶良間ブルーは眩いほど透き通り、美しい。
眼前のカフェでつまみを買い食堂に戻ってビールを貰い、デッキチェアを借りると、夕方までビールを飲みつつ過ごした。お代は、鼻薬の所為で無料。
宿に戻るが、夕食は料理の担当者が出産で本島に帰り、その間はなしなんだと。台風の状況を尋くと、翌朝8時に出航有無が発表され、もし欠航となると最低三日は全便欠航が続くとか。
成る程、これが沖縄の台風か。しかし居残ると東京に戻れない。恐るべし台風。
近くの居酒屋を紹介されて出向くと、真っ黒に日焼けした30代前半の美人店員から声を掛けられた。昼間、カフェに買いに来た人ですよね、と。同系列の店で掛け持ちしているんですよと笑顔で続けた。
初見の可愛い子と話ながらの酒は、翌日の不安もあるが、格別に旨い。聞くとこの島は3ヶ月限定で、それまでは西表島に10年いて、冬は長野のスキーリゾートへ行くと。
『リゾート・ワーカー』とかいうらしいが、個人的には「季節労働者」か「出稼ぎ労働者」じゃないのかね。まあ、映画好きとしては「フーテンの寅」だよな。
しかし、離島にはその手の人間が多いらしい。民宿の女性二人も東京と神戸出身で、こちらに長く滞在中と言っていた。
楽しい人生だろうが、壮年以降は、どうやって生きていくのだろうか。それぞれの人生だよな。自分だって好き勝手な人生だし。楽しい時間を過ごし就寝。
そして、翌早朝。早朝に目覚める習慣は同じで、誰もいない真っ暗な海岸まで星を観に出向く。確かに風がかなり強い。
満天の星空が待っていたが、雨雲らしきものがあちこちで流れて、時折、雨粒も混じる。沖ではかなり大きな雲が向かってきているのが薄っすらと見えたので早めに戻る。
さて、船はどうなるのかと。それがまた、パニック映画か、往年のイギリス製サスペンススリラー的な出来事が待ち受けていた。
まあ、続きはまた来週。