平成最後の沖縄旅の続き。渡嘉敷島に一泊し、那覇に戻った。
久し振りに、那覇で二日もノープラン。再会する友人の都合を考慮し、どちらの日でも良いようにフリーにしておこうと思ったからだ。
友人からは、翌日夜でという連絡が来た。さて、どうするか。とはいっても、遠出はしない。好きな旅のスタイルで、そこの住人のように漫然と過ごす。要は散歩程度で、急ぎ足的観光はしない。
ある意味、大いなる時間の無駄遣い。ネットやテレビで話題の店には行かなくて、現地人が日常的に使う店でノンビリとする。
ならば、取り敢えずは好きな食堂でランチとビールにしよう。那覇には好きな食堂が二件あり、いつもは時間がなく、どちらかにしか行けぬ。今回は両店とも行けそうだと思いながら、片方へ。安定した味で満足し、散歩続行。
しかし東京同様、目まぐるしく変わっていて好きなイメージが激減している。ついでだ、と怖いもの見たさに大好きだったが閉場した「農連市場」跡地へ行くことにした。
途中、寂びれ感満載の「太平通り」というアーケード商店街で昔ながらの食堂を発見。小さな店で暖簾も出てない。しかし、強烈にセンサーが反応。だが、ランチを食べたばかり。後ろ髪を引かれつつ市場跡地へ。
半分は普請中で、方や今風の洒落たデザインの複合施設に。中を覗くと昔風の食品店と今風のカフェ群という、いかにも沖縄の「チャンプルー」的ごちゃまぜ。
結局、惹かれるものはなく、元のアーケード街を戻ると、やはり先程の食堂で足が止まる。薄暗いアーケードの下、店内も暗いのでジッと見ないと中が見えない。客がいるのがぼんやり見えた。
結局、入った。客は地元のお婆さんばかり。壁の品書きは高いもので600円。30年は値段が変わってなさそうだ。さほど多くない品書きから「肉汁」500円なるもの選んだ。当たり前のように地元客が、茶を出したり、配膳を手伝っている。心地良い風景だ。
出てきた料理は想像通りで豚肩ロースに大根、人参、太めの糸こんにゃくに青菜で、器からこぼれそうだ。出汁は沖縄そば同様だが、薄味で絶妙にウマい。
ビールの有無は尋かなかったが間違いなく、次回から選択肢に入る店に決定。でも、他の二店よりは早く閉店しそうなのが心配だな。
やはり沖縄は好きだなと痛感しつつ、残るは小学校同級生との再会だった。
翌晩、そいつが指定したのは焼肉屋だった。かなり来てるなら沖縄料理は決まっている店があるだろうと。
お互いに今までの人生を話しつつの楽しい宴。数十年振りとはいえ、すぐに打ち解けた。
奴は、大学の医学部卒業後、インターンとして沖縄に赴任。二年後に戻ったが、そこの教授と折り合いが悪く退職。沖縄時代の上司から、ならば沖縄に来いと呼ばれ、以後独立したと。
同級生とはいえ、やはり医師。会話全般が、妙に上から目線なのが面白かった。
充分に自分には高級店と感じながらも、ここは安くて旨いだろと奢ってくれた。そこから行きつけのラウンジへ。その店だってかなり高級そうだ。やはり地元の名士的医師ともなると、何かと違うと面白い。
渡嘉敷島では魂が浄化され、旧友と数十年振りの懇親。平成最後に沖縄を選んで正解だったと痛感した旅。