一挙に満開になった眼下の桜。案の定、平日の昼間から桜見酒を楽しんむグループも。まあ、暫くの辛抱だ。
そんな中、急遽決まった小学校の臨時同窓会に顔を出してきた。先約があったので、二次会からの参加ということで。
発起人は出世頭の東大の教授君。彼は名門の開成高校から東大進学。そのまま大学に残り研究を続け現在の地位にある。
そこにもう一人、やはり開成出身で、以後医師になり、沖縄に移住した在日の友人が上京するので、それに合わせたゆえの急遽、開催決定になったとか。
一応、連絡はPCメールだったが、次に来たのは小学校グループでLINEを作ろうという案内。ちぇ、またここでもLINEかよ。
それでも、在日の医師は小学校以来会っていないので、50年振り。完全白髪になっていたが、顔を見た瞬間に解るのは子供時代の記憶はそれだけ強いということか。
自分が、結構な頻度で訪沖してるというと、次は向こうで飲もうと。医院は、昔のゴザ、現在の沖縄市で開業中だが、頻繁に那覇に行くのでそっちにマンションを保有しているから、那覇でオッケーだ、と。
で、貰った名刺は朝鮮名だった。小学校の時分は、日本読みだったが、時代が変わったということだろうな。でも、どうしても昔のあだ名で呼んでしまった。
その他は、いつも間違いなく参加する奴らや、かなり暫く振りという奴らもいて総勢20名以上参集してた。
ヒマな奴は、自分同様、仕事嫌いで、家賃収入で喰っているとか、セミリタイアを自慢する、いかにも下品な下町のオヤジたち。まあ、他人のことは言えないがね。
早く帰る奴もいるし、居残りたいのもいる。当然、2次会から3次会への流れ。
同窓生にはスナックのママをしている女性もいたが、流石に自分の店は嫌らしく、妹分の店に会費1000円で流れることに。
何十年振りかのスナック体験。自分の性格からして、どうにもカラオケが嫌いなので足を踏み入れない形態だから。
案の定、カラオケが始まり、流石、下町の下品なオヤジは、ウケ狙いで、若い今風の歌を喜んで歌いやがる。
だから嫌いなんだよ。拍手まで強要しやがって。大したストレスもないくせに、ストレス発散とか言い、立て続けに歌を入れまくる。
それにしてもタフだ。日付をまたいでも歌舞音曲かよ。沖縄からの奴だって、朝まで行くぞと宣言。こちらは堪ったもんじゃない。
流石に1時半近くに、朝まで宣言の医師には、沖縄には4月中旬に行くから飲もうと告げ、他の親父軍団には、まあ、今回が最後で、次は遺影に手を合わす再会の奴もいるやもな、と挨拶してお暇した。
歳も歳だし、そんなに騒ぐなら次回の同窓会は午前中からにしてくれよ。夜は寝るもんだぜ、と祈りつつの帰路。
そういう時に限って、桜には当たらない道筋なんだよな。