余談雑談 2018年8月18日

「せこさ」は独りよがりの美徳で、他人からはバカにされる対象なんだと感じる。

とあるテレビ番組で、火も使わず出来る簡単料理レシピを知った。コンビニでも売っている三種の具材に、味付けはポン酢とゴマ油とシンプルで、高級食材もいらない。

すかさず真似して、夏には良いと納得し、以来、何度か作った。で、アレンジしてみるかと考え、思い当たったのは「揚げ玉」。関西では「天かす」と呼ぶらしい。要は、ゴマ油を使用するので、ならば、食感を加味しようかと。

何たって、地元は有名天ぷら店が多くある場所。実際に、現在でも店頭で土産用天ぷらを販売している店も多い。

江戸前天ぷらはゴマ油使用が多く、店先など歩くと嗅覚を刺激された思い出もある。ある意味、鰻屋と良い、良い香りで人の弱みに付け込む商売だわな。

しかも、「揚げ玉」はエビやキスといった高額でなく、あくまで余りモノ扱いで、昔は小分けした袋を店頭に置き「ご自由に」とか、せいぜい50円で売っていた。

ところがどうだ。現在は、ヴェテラン厚化粧婆さんが白衣など着て店頭販売しているが、揚げ玉というと馬鹿にしたような顔で、扱っていませんと口を揃える。

確かに天ぷらを買わずに貧乏臭い。しかし、いつからこんな感じになったのか。

貧乏根性が染みついている自分は、お前らが売っている土産用天ぷらは高いだけで、その価格に見合ってないんだよと言いたいが、それだって負け惜しみにしか聞こえぬ。

で、仕方なくスーパーや百貨店に行くと「揚げ玉」を数種おいてあるのを見かけた。随分と時代は変わったんだな。

何とも、始めから揚げ玉として作っているから癪に障るんだよな。しかもヘルシーな油使用だと。形だってそれ用に器械からの抽出で同じ大きさで色も白っぽい。

下町人間としては、やはりゴマ油で色目もきついのが大事。あくまで天ぷら屋の揚げカスで、時折、野菜などの具が入っていたり、大きさもバラバラだから楽しい。

機械生産でなく、職人が揚げた残り物。昔など、知っている店はタダで好きなだけ持って行けと、一斗缶を指さされた記憶もある。その揚げ玉の美味さで、次回はちゃんと、そこへ食べに行こうと家族で話してもいた。

まったく、セコいというか、貧乏くさい人間は生きずらいな。「安物買いの銭失い」とも言わるが、今は定価購入しない人間も多いんだぞ。ところが、それは「せこさ」でなく、「買い物上手」と呼称するとか。本当かな。

でもな、安くてお得を、さも上品に言い訳する人間にはなりたくないな。

まあ、何てことない、レシピ通りで喰えば良いだけだよな。

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