スタッフ
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:デヴィッド・O・セルズニック
脚本:チェザーレ・ザヴァティーニ、トルーマン・カポーティ
撮影:G・R・アルド
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ
キャスト
メアリー / ジョニファー・ジョーンズ
ドリア / モンゴメリー・クリフト
スティーヴンス / リチャード・ベイマー
セールスマン / パオロ・ストッパ
警察署長 / ジーノ・チェルヴィ
鉄道員 / オスカー・ブランド
車中の少女 / マリオリーナ・ボーヴォ
鉄道員2 / ナンド・ブルーノ
新婦 / マリア・ピーナ・カシリオ
日本公開: 1953年
製作国: アメリカ、イタリア デ・シーカ・プロ作品
配給: 松竹洋画部
あらすじとコメント
イタリアの名匠ヴィットリオ・デ・シーカ。今回は、資本やキャストにアメリカ系が目立つ中で、ローマのテルミニ駅内だけで繰り広げられる恋愛ドラマ。
イタリア、ローマアメリカ人女性メアリー(ジョニファー・ジョーンズ)は、とあるアパートの一室の前に駆け付けた。しかし、逡巡した挙句、結局ノックもせずに立ち去り、その足でテルミニ駅に向かった。彼女は子持ちの人妻で、パリを経由しアメリカに帰国しようとしていたのだ。
そんな彼女を探して、教師のドリア(モンゴメリー・クリフト)が、駅にやって来た。二人は不倫の関係で、メアリーはそれを断ち切るべく、旅立とうとしていたのである。しかし、恋の炎が燃え盛ったままのドリアは納得できず、何とか彼女を説き伏せようとしていた。
大勢の人間が行き交う駅構内だったが、彼はやっとメアリーを見つけて・・・
不倫の恋に終止符を打とうと葛藤する男女のメロドラマ。
旅先で出会ったアメリカ女性と二枚目のイタリア系青年。
ただし、出会いや過程は一切描かれず、決別しようと旅立つ人妻の姿を追う展開。そして列車の発車時刻までの残り時間と上映時間が一致するリアルタイム進行。
その中で、青年と再会し、紆余曲折が繰り広げられ、ことの次第が判明していく内容である。
アメリカ人女性が旅先でイタリア男との不倫関係になると言えば、名匠デヴィッド・リーンの秀作「旅情」(1955)を思い起こす人もいよう。
まさしく本作は、それを完全に意識して作られた作品である。
興味深いのは、「旅情」は観光名所ヴェネツィアが舞台で、名所旧跡をこれでもかと映しだし、本作も舞台はやはり観光名所のローマ。それなのに観光スポットは一切登場せず、駅構内というある意味、閉鎖的な空間のみ。
あちらがイギリス人監督であり、こちらはイタリアのネオ・リアリズモの名匠。しかも制作はアメリカの名プロデューサーが手掛け、アメリカ系の人気男女優を起用し、脚本にはのちに「冷血」を書くトルーマン・カポーティを起用している。
あからさまな挑戦である。なので、少し違和感を覚えるが、そこはデ・シーカ。
人がごった返す駅構内の人間模様をさりげなく、だが、しっかりと描き、ネオ・リアリズモの気風を醸しだす。しかし、だからこそ、主役二人のアメリカ系の違和も感じさせるのだが。
要は主役二人の演技と脇役たちの存在感がまったく違うのである。確かに、主役二人は生粋イタリア人という設定ではないので間違ってはいない。
だが、「旅情」と比べてしまうと、女優の演技の上手さの違いに困惑してしまった。
直情型青年と移り気な人妻。そこにはスマートさもなければ、納得できるヴァイタリティもない。
要は別れる、別れないのグダグダなメロドラマ。
設定自体は時代性もあり、致し方ないと思うが、脚本自体は良く出来ているし、デ・シーカの力量も彼らしい気骨を感じさせる。
絶妙とも見えるし、鼻白むとも感じる不思議な感覚に陥る作品。