スタッフ
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
製作:エマニュエーレ・カッスート
脚本:M・アントニオーニ、E・フライアーノ、T・グエッラ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽:ジョルジョ・ガスリーニ
キャスト
ポンターノ / マルチェロ・マストヤンニ
リディア / ジャンヌ・モロー
ヴァレンティーナ / モニカ・ヴィッティ
ガラーニ / ベルンハルト・ヴィッキ
ロージー / ロージー・マッツァクラッティ
ゲラルディーニ / ヴィンチェンツォ・コルベッラ
ファンティ / グイド・A・マルサン
ゲラルディーニ夫人 / ジット・マリーニ
ロベルト / ジョルジョ・ネグロ
日本公開: 1962年
製作国: イタリア、フランス E・カッスート作品
配給: 東和
あらすじとコメント
異色の戦争映映画だった前回の「モリツリ」(1965)のドイツ人監督ベルンハルト・ヴィッキ。今回は俳優として参加した作品。愛の不毛を描き続けたイタリアのミケランジェロ・アントニオーニの不思議な感覚に満ちた作品。
イタリア、ミラノ作家のポンターノ(マルチェロ・マストヤンニ)と妻のリディア(ジャンヌ・モロー)は倦怠期を迎えている中年夫婦だ。
彼らは夫の親友で病床に伏すガラーニ(ベルンハルト・ヴィッキ)の見舞いに行った。だが、彼は末期の症状で、彼自身もう長くないと知っていた。衝撃を受ける二人だが、リディアは、まだ人生を楽しむ時期なのに、死んでいく人間の心情を察し、かなりの落ち込みようであった。ただし、それは最近、夫が冷たいことにも起因しているようであった。
そんな彼女の心情には気付かず、彼は、夫婦揃って金満家の知人のパーティーに行くことにしたが・・・
得もいえぬ虚無感に苛まれる中年夫婦の一晩を描くドラマ。
結婚当初の『愛』の消滅というか、あるにしても、どうにも『うやむや感』に襲われ、虚無的になっている人妻。一方の亭主は、スランプ中ということもあり、妻の心情に理解を示さない。
そこに知人の死という隙間風が極北の如く流れ込む。
描かれるのは、派手なパーティーに夫婦して招待された一晩の二人の心模様。
当然、夫婦双方に『妖しい相手』が登場してくるが、その相手たちとどういう流れになるのかが描かれる。
夫婦別々の複雑な心情下で、互いの姿をパーテイー内で認識しつつ、当てつけとも取れるし、かまって欲しいという「自分の存在価値」をだしていく。
かといって、スリリングではあるが、ドラマチックな効果を盛り上げない。
何とも、不完全燃焼の中での、大人の心情が揺れ動く展開。
個性が尊重され、ゆえに好き勝手な価値観を普通に言い合える国民性。
一方で、集団の中に安定性を見出すので雄弁に語らない国民からすると、どうにも無為な葛藤とも思える大人たち。
しかし、そういった歴史を持つ、しかもインテリ層が陥りやすい「虚無感」。神経の機微や開放できそうで出来ない自己開示欲といった、インテリの大人という立ち振る舞いと焦燥感。
そういった機微を丹念に描いていく。なので、理解しづらいとか、自分にはまったく相容れない価値観と感じる人も多いに違いない。
中年夫婦のすれ違い、夫婦だからこその複雑な距離感。
そんな夫婦は一晩の浮気に流れるのか、それとも理性が勝つのか。
若者たちではない、中年ゆえに漂うアンニュイ感は見事。
全体を通して、劇的に盛り上がることはない作劇。それでも、雄弁と感じるかどうかは観る側の個性次第。
どこか突き放した視点で描かれるので、こちらの心も虚無感に襲われてくる作品であることは間違いない。