一挙に春めいてきた。東京は、桜の開花予想が早まり、今日、明日にも開花とか。今までの寒さは何だったのか。
つい数日前、編集部に出向いたが、かなり早目に仕事が終わり、バスで帰路に就いていた。車内は差し込む光で暑さを感じたが、さすがに冷房は入っていなかった。
実にのどかな外の景色を眺めつつ、バスが上野広小路に差し掛かった時、不意に酒に呼ばれた。母の具合も随分と回復し、その日は店番に戻ることはなし。
となれば、桜の時期になれば人で溢れかえるだろうと飲み屋街へ向かった。
以前から気になっていた店に行くか、いつも通り、立ち飲み屋に向かうか。ワクワクしながら歩くと、外国人観光客を含む、多くの人出に驚いた。いつからこれほどの観光地になったのだろうかと人波をかわしつつ歩いた。
しかも昼から開いている飲み屋は何れも混んでいる。平日の昼下がりで、この混雑か。
もはや時代は変わり、場末のドヤ街でもないのに、『昼から呑み』に関して後ろめたさはないんだな。まあ、観光客ならば当然かもしれぬが。
ただし、そんな人種ばかりでもなさそうだ。で、気になっていた新規の店に入った。怖いのは『お通し』で金を取られないか。
それはなさそうだった。若いカップルや、青年とオバサマなど実に雑多な客筋。メニューを見ると、着席店だからか、若干、高い気がした。
瓶ビールに、やきとりと煮込み。味はマアマアだ。暖かな昼下がり、負け組か、贅沢かと逡巡しながら、中年からセミリタイア組。この行為が、普通になるのは如何かとも思うが、それだって酒は美味い。
それにしても、セコイ飲み方が身に付いたのもリタイア後だ。それは、益々増長している。
『そこそこ』やら『中の上』的な発想はまったくない。他人の眼などお構いなし。どうせ、誰も自分優先だろうさ。これも集団生活が若い頃から苦手で、集団の中で安心できるサラリーマン的日本人精神がないからだろうな。
開き直りつつ、お品書きを眺めるが、食指は動かない。ならば会計だ。
1500円で釣銭が来た。だから、昼飲みは素敵だ。暖かさからでもなかろうが、少し気が大きくなったので、立ち飲み屋へ。
そこは、いつもより閑散としていた。へそ曲がりとしては混雑する店よりもこの程度の空気感が好きだ。そこでは酎ハイと肴を三品。
それでも1000円もしない。至福だ。尤も、これで人生を楽しんでいると思うのは、やはり、負け組か。
別に構わないさ。これぞ、身の丈に合った人生さ。