梅雨の足音忍び寄るですか。湿気が増し、嫌な汗をかく時期が到来。
それでも先立ての雨上がり、路地を歩いていたら頭上の雲が切れ、空がまぶしく輝いた。そこに偶然清々しい風が吹き抜け、瞬間、最後の海外旅行地コスタリカが甦った。
渡航はもう15年以上も前のことだ。世は経済再生だとやっと海外からの旅行者受け入れ緩和を発表。一方で、こちらはもう海外旅行には一生行かないだろうな、と。
言葉も通じず、味覚も異なる異郷へのひとり旅には歳を取り過ぎた感がある。慣れ親しんだイタリアやタイでも、当時ほどの行動力は発揮できまいし。
何よりも感じるは加齢と肉体変化。少し前に脚の骨折は完治したが、完全に元には戻らずなのである。
結果、歩き方か否が応でも変わった。昔のように左右を意識して同歩幅で歩こうとすると骨折した方の指に「血豆」ができる。必然的に骨折側だけラクな歩き方にすると逆の脚に負担がかかり、疲労感が早めに増大する。
そういえば10年以上も前の肩の骨折でも、以降左右の手を同じ高さに挙げることが不可能になったっけ。リハビリで筋肉をつけて補おうとしてもやはり無理だった。
レントゲン写真を見たって、骨が付いたのは確認できたが、どこか「いびつ」で完全元通りではなかった。それでも手術自体は成功である。やはり陶器の「金継ぎ」のように行かぬし、医師の腕というよりもじっくり時間をかけ元通りにくっつくまで開いたまま微調整を繰り返して待つ訳にもいかないもんな。
その時が甦った。鏡を前に「バンザイ」の態で両手を挙げると左右対称に上がらなくなっていたショックを。ふと連想したのは、自分は「大脱走」のマックィーンにはなれないなと。ラストに鉄条網に突っ込んで降伏するときの格好のことですよ。
で、今回歩き方のバランスが極端に変化した結果、思い浮かべたのはやはり映画だ。砂漠に不時着し救援も見込めぬ絶望的な状況で男たちのエゴがぶつかり合う佳作「飛べ!フェ二ックス」での気高い英軍将校役ピーター・フィンチの台詞。歩いて砂漠を横断し助けを連れて来ると発言し、訝しがる男らに「素人とは違って軍人は訓練を受けているから歩幅を均等に保ち、決めた方角に真っ直ぐに歩ける」と言い放つ。
まあ、軍人でもないし訓練も受けてないから、ハナっから無理だけどね。ということは同映画のアーネスト・ボーグナインかよ、と思った。どの道、生き残らない人物だ。
で、海外からの観光客がやって来ると地元の観光地は以前のような活況を呈するに違いないだろう。その時に、歩幅を揃えて真っ直ぐに歩けないなら、両手をバランス悪く上げながらフラフラとベリーダンスか阿波踊り的に歩く方が、自分は不完全体ですからヨロシクねと特異性を感じさせられるのか。
まさか梅雨だし傘をステッキとして使用し、フレッド・アステアのように振り回してどかす訳にも行かぬ。
そんなことを考えてると余生はずっと梅雨模様ですよと言わないでくださいな。