2012年7月1日。10年前の日付だが、何かあったかと即座に思い出せる人は、ほぼ皆無だろう。
『牛レバ刺し食あたり事件』による生食禁止令施行日。つまり生食での牛や豚のレバ刺しが提供禁止になった、自分には大事なメモリアル・デーなのだ。
生レバ最後の日は日本中が狂乱で提供していた焼肉屋等はどこも行列。ただし、心底好きで通っていた人よりイベントとして参加し、騒いでいる人も多かったようだ。TV報道も過熱ぶりを煽る狂騒曲として放送していたっけ。
でも、未だに生レバ刺しの味を舌が覚えている自分としては懐かしさに震える。結果的に原因食材を提供した社長らは不起訴になったが、少なくとも了見の狭い自分は絶対に忘れないぞと心に決めている。
甘い判断で商売に手を出し死者をだす。結果、生食禁止になり、以降未だに復活してない。きっと一生禁止のままだろう。
そのことで、どれほどの愛好者を敵に回したか。当時、下町の場末的安酒場に通っていた自分は安価で提供されるレバ刺し等のホルモン系が大好きだった。提供していた店はいずれも小汚い店で、間違っても衛生的ではなく、死者を出した店舗よりも遥かに汚い。
それでも決して死者、否や食中毒すら出したことがないのは何故だと思うかと当の社長に問い正してみたかった。安くて汚い店でも店主なりのプロ意識というか、静かなる矜持があるのだろう。
事実、何名かの安酒場の親父さんたちは数百円で提供しても、品物を見れば生でいけるかはすぐにわかるしと言っていた。もしくは自分の店に来る客は胃腸が普通の人より鍛えられているからかなと笑っていたっけ。
社長さん、欠けていたのは何なんだよ。でも時は流れ、人々は忘れて行くかもしれぬが、自分が大好きなことをこちらのミスでもなく禁止された。だから自分だけは、生涯絶対忘れずに呪文を唱え続けると決めている。
当時、報道陣の前に登場した若い社長が土下座した姿も脳裏に焼き付いている。この行為は、もっと以前からあっただろうが、先ずは土下座というのもパフォーマンスにしか見えぬし、しなきゃしないで怒られるし、しても鼻白むと感じる自分。
それとはまったく違う場面で土下座するシーンを見せられると、即座に当時の社長を思い出す。
やはり、嫌な性格なんだろうな。自分は間違いなく、根に持つタイプだなと思っている。
この根に持つの根は『心根』だという。だとすれば「心根が腐ってる」という言葉を連想する自分。とはいっても、「心根」イコール「肝」、つまりレバーが腐っているという意味じゃない。そりゃ、知ってりゃ誰も喰わねェよな。
でもって一応、調べてみると『性根が悪い』も同義語で、言い換える言葉に絶句。「天邪鬼」「つむじ曲がり」「へそ曲がり」「性格が悪い」と書いてあるじゃないか。
何をば言わんや、だぜ。でも現状を見てみろ。世の中、頭が切れて性格が悪い奴の勝利。そうは思っても、自分に置換出来ないんだよ。その違いは何なのだろうか。きっと『肝要』が欠落しているからだろうか。
ちェ、そんな奴らは「豆腐の角に頭ぶつけて」と思う。否や、ちょっと待てよ、どうせなら角ではなく「食あたりで死んでも良い」と肝を据えてサインするから生でレバ刺しを食べさてはくれまいか。
でも11年目に入ったんだよな。そんなこと誰も言わなくなったし。