余談雑談 2022年9月17日

まったく進歩がないな。自分のイメージなり情報のアップデートって、いつの時代止まりか。

この前も『DM』で連絡が来て、とか言っているのを聞いたときは「ダイレクト・メール」かと思った。でも今は「ダイレクト・メッセージ」ということらしいですな。

自分では「DM」とはハガキの押し売り的セールス案内か、勧誘等の迷惑メールの類と思っていた。それなのに、嬉しそうに「DM」から繋がって付き合うことになったとか聞くと驚く次第。

だって詐欺メールなのに相手が思いの外、悪い人じゃなかったからとか、私が面倒見てあげないとダメになるじゃんと『大人は犠牲的であれ』という心優しい人が登場してきているのかと思った。

DMもそうだが、経済用語などは矢鱈と横文字の短縮形だ。自分でさへ知っているし、業界としても呼ばれる「IT」。

初期の頃は「イット」と読むと思っていた。とくれば映画史から好きな自分は瞬時に「イット・ガール」を連想。映画「あれ」(1927)で主演を務めたクララ・ボウを指す言葉だった。つまり新たなる映画スターの誕生かと。

そこまでの抜群の新星でないにしろ、一時期ほど騒がれなくなったと感じるのが「局アナ」と呼称された女性アナウンサー。30歳定年制と言われてたっけ。

で、「局」を見ると、浮かぶのはお堅い省庁関係とか郵便局。他には政局、当局、局面、結局、薬局とか。「つぼね」って読みもあるよね。これも個人的かもしれないが、大奥とか何とも良いイメージではない。

それにしても言葉の変化なり価値観の多様化も加速してる。未だに不意に使いそうになるのが「ナウい」や「チョベリバ」。双方とも古臭いと嘲笑の対象として扱われるが、「ナウい」はマルチタレントだった大橋巨泉が作った造語で、「チョベリバ」は女子高生から発生した言葉。重さが違うようにも思えるが、同一線上に笑われるのが現代だろう。

自分が好きな古いジャズやスタンダードの曲名だって同じだよな。例えば”I Found a New Baby”。今なら、きっとカタカナ表記にするんだろう。昔の邦題は「いい娘見つけた」だった。まるでストーカー目線じゃないかよ。

じゃ「新しい赤子見つけた」で。これはアジアやアフリカの一部の臓器売買対象幼児を想像してしまう自分。

でも、日本語がもっと自由だったころ、曲名には意訳の妙ってのもあったな。”What a Diff’rence a Day Made”は「縁は異なもの」であった。そう名付けたのは大橋巨泉である。

巨泉が存命なら「ナウい」でも「イマい」でもなく、今は何て言うんでしょうかね。「刹那い」とか。

言葉の寿命は異様に短命になり続ける。人は長生きになっているのにな。

で、加齢で言葉を忘れ「あれだよ、あれ」しか出て来なくなったりして。別に映画スターのことでもないのに。

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