遂にか。
自分の中で最後の砦というか、心と胃袋の最高の拠り所がなくなった。
場所は山手線の中でもマイナーで有名な駅の程近く。車も通れない、本当の路地で営業していた飲食店。自室からだと歩いて半時間。
そこにあったとんかつ屋が遂に閉店した。去年も少しここで触れたが、後何年出来るかと店主さんが弱音を吐いていた。そんなこと言わずに頑張ってくださいと言うのが大嫌いな性分。それよりは自分に出来ることは足繁く通うことだと、年甲斐もなく週に一度は胃もたれ覚悟で通い詰めた。
考えれば30年以上も通っていた。元々は浅草に本店があり、とんかつというか下町系洋食の超有名店であったが、閉店したので暖簾分けであるそこへ流れた。
もう一軒、暖簾分けがあり、そちらも顔を出したが不思議なもので口に合う合わぬが別れた。以来、そこにばかり通っていた。
徐々にメニューが減って行くのを見続けた。有名なのはただ一品、店名を冠した丼もの。とんかつはロースのみでヒレの扱いはなく、注文単位はグラムとは違う昔の「匁(もんめ)」で通していた。これも本店時代からの踏襲である。
長年通い詰めたし、昔のよしみか、俗にいう裏メニューで瓶ビールを飲む。そこはコロナ禍の酒類販売規制の時期も黙って出してくれた。それだけで自分の中では最高の店の格付け。
8月初頭の炎天下に徒歩で行き、長期休業の張り紙を見て、嫌な予感がしていた。その一週間前に顔を出したが、店主の体調に変化があるようには見えなかった。
営業時間も短縮されていたし、近所への出前が主流だったが新設のマンション移住者は店の直接出前でなく、組織化された配達人稼業に信用を置くのか、激減したと。後は、ネットで見た客が定番の丼ものを頼んで静かに帰る店になった。
本店は自分が生まれる前に祖父、父と通い、ガススタを営んでいたころは忘年会は毎回そこの本店だった。本店親父さんの弟は、父の小学校の同級生。なので、親戚付き合いの延長のような関係で、路地の店に通うようになっても本店との関係も知っていたので親切にしてもらった。
つまり、自分には生まれる前から関係のあった店。ここの閉店は心が折れた。
自分の中で最後の「とんかつ屋」。ラードで良く揚げた茶色い衣。細かいこだわり等なく、肉と衣の接合も雑。しかし、自分の中でとんかつは御馳走であるが決して能書きを唱えて知ったかぶりをしつつ、数千円も出して有難く食べるものじゃない。ある意味、下品なご馳走。
確かに30年以上も通えばこちらも先方も歳を取り、自分だって体のあちこちが痛くて自由闊達には動けぬ。相手が年長であれば更に大変だろう。
長年「あって当たり前」の店。後継者がいなければカウントダウンの店ばかり。店主と女将さんで営む小さな店が好きな自分は何店も閉店を見てきた。都度、静かに涙を流したり慟哭したり。
それにしてもこの店の閉店は、心底ひとつの時代が完全に終わったと痛感する。小さくて小汚い店なので、友人たちに紹介できぬままであった。
店主は最後まで自分に対し、良くぞ、まだそれだけ食べられますねと驚いていた。だって、好きとはそういうことですから。健康寿命に些かの影響があっても食べ続けた最後の店。
やっと酷暑が終わりを告げそうだが、この空虚感は一生満たされまい。昼間からビールが飲めてとんかつを食す、優雅で贅沢な「昭和時間」の継承。
時が移ろい、時代が終わる。感謝しかないが、閉店を確認した夜の酒は飲んだ気がしなかった。
本当に、本当に一つの歴史と思い出が潰えた。自分にとっての原体験にして最高に口に合う「とんかつ」の消滅。
これからどうしたら良いんだ。