実は面倒に見舞われた今回の訪沖。
いよいよ初「コザ」訪問の日。天気は朝から快晴で心地良い。しかも訪沖中はずっと傘マークなし。
一方、右脚のひざ下は違和感というより、痛さが増している。履き慣れた軽い靴で来たが、どうにも痛い。ヘルニア由来だろうか。
キャンセルも考えたが、そこは貧乏性。温泉銭湯もあるし、安宿だってドタキャンは全額徴収だ。しかし、色々と現地を調べるが全体像の距離感が掴めず、結局痛い足で稼ぐしかないと思っていると出発直前、現地の医者の友人からメールが来て、夜一緒に飲もうと。
やはり「行け」という思し召しだな。で、ほど良い時間に乗車。沖縄で路線バスによる中距離移動。当然、観光客は皆無でガラガラ。当初は旅気分だが景色は途中から一変。米軍基地で、変化に乏しく味気ない。
一時間強でコザに。先ずは食堂だ、と目星を付けたバス停で下車。TVで何度か見た「ゲート通り」沿いにある食堂だから発見は容易だろうし、営業時間もチェック済み。
降りた瞬間、脚が痛くてふらついた。それでも近いはずと歩き出すが嫌な予感。存在場所に食堂はなく、少し混乱。近くにアーケード商店街が見え、確かそちらにも食堂があったかな。
そこは地方にありがちな風通しの良いというか、営業店も人もいないシャッター通り。尋こうにも人が歩いていない。やっと見つけた地域おこしセンター的なところで食堂の質問すると「潰れたサ」と。
ここでもコロナの影響かと絶望的になる。ならば紙の地図で起こした銭湯でノンビリするかと歩き出したら、これが遠かった。
しかも途中から急坂でカーブしている。そうか、ネット上の地図では高低差までは書いてない。安宿も確認してからの道行きだが、帰路での上り坂は無理だ。歩いているのは大通りでバスが行き来している。こういう時こその地元専用バスカードさ。
半時間歩いて辿り着いたら、おばあさんが一人で切り盛りする銭湯は幸いにも営業中。370円という入浴料だが、これは自治体指定の料金なのか、たった一軒しか現存してないから独自の料金か。それにしても安いよな。
中に入ると、ある意味感動した。開店直後で貸切。脱衣場と浴室の仕切りはなく湯舟は真ん中。両側に蛇口が並び、温と冷蛇口がゴムホースでY字型に接続されている。壮観というかチャーミングだ。
壁画はなく白と空色ペンキで何度も塗り重ねていて歴史を感じる。窓はなく、積んだブロックが三方にあり、風を抜かせるスタイル。イメージしたのはタイあたりのプール場の着替え室。
時折、実に心地よい風が吹き抜ける。湯船に入るとぬるいが、外気温を考えると丁度良い温度かもだ。しかし一番驚いたのは浴室奥にあったトイレ。久々に見た、汲み取り式「ポットン便所」。
ゆっくりと旅と足の疲れを取りバスで宿へ。夜は友人と再会。彼曰く、あまりここらで飲まないから、場当りで入ろうと。やはり週末以外は閑散としていて、数こそ少ないが観光客が開店中の居酒屋を探して歩いていた。
二軒ハシゴし、医者だけに沖縄ならではの炎天下での駐車場ワクチン接種のハードさなど話してくれた。友人は夜はこれからというが、流石に疲れてまたな、と別れた。
さて、問題は翌日。朝、右脚のひざ下がパンパンに腫れてるじゃないか。ベッドから足を下すと血が廻り、毛穴から血が噴き出すんじゃないかと思うほど痛い。考えたらとワクチン接種証明に気を取られ保険証を忘れてきた。友人の顔が浮かぶが、迷惑はかけられないし、最悪数日の入院とか言われると大問題。
ゆっくりとした歩調でバス停まで行き、那覇行きのバスに乗る。那覇で下車し、近くでランチを食べホテルへ。流石に東京のセカンド・オピニオンの整体師に連絡してみた。「ちょっとマズいかも。脚の状況からすると最悪『血栓』の可能性もある。なまけずに即病院へ行きなさい」
沖縄ナウなんぞと言えぬから、ハイと電話を切る。外は10月の爽やかな晴天ながら気分は落ち込み、外出する気も失せる。
まだ3泊もあるので道半ばだが、予定通りだと帰京は土曜日で通院開始は月曜。その週末はムダだ。それにこの状態では自由闊達に那覇を歩き回れないのは事実。
意を決しネットで翌日のエアチケットを検索。流石に前日だと旭川の時と同程度の運賃だ。まあ、本来3万4千円の旅だとクリック。
残る「もったいない」は地域振興券。残額1万数千円。時間は山のようにあるのでネット・サーフィン。一部のタクシーが使用可で、眼前でパフォーマンス付きの鉄板焼きの店発見。タクシー往復で、そこで高いメニューか。
そういう時は感も鈍るというか、運すら弱い。鉄板焼き店で高級県産和牛にエビ・ガーリックを追加したが、流れ作業でワンプレートに一緒盛り。ゆっくりと食事よりも回転率を上げる作戦。コックの腕もイマイチで、折角の高級牛なのに塩焼きにもせず店の独自タレで輸入牛と味を統一。
こういう時もあるサと夜空を見上げた旅の晩。