スタッフ
監督:山田洋次
製作:島津清
脚本:山田洋次、浅間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純
キャスト
車寅次郎 / 渥美清
諏訪櫻 / 倍賞千恵子
車竜造 / 森川信
諏訪博 / 前田吟
車つね / 三崎千恵子
六波羅貴子 / 池内淳子(東宝)
諏訪飆一郎 / 志村喬
桂梅太郎 / 太宰久雄
小百合 / 岡本茉莉
御前様 / 笠智衆
製作国: 日本
配給: 松竹
あらすじとコメント
人気長寿シリーズ「男はつらいよ」。主人公が毎回ヒロインに恋して振られるのがお決まりの大いなるマンネリでもある。だが、別な楽しみも存在した。それはヴェテラン俳優がゲスト出演すること。本作では志村喬。その演技を見るだけでも興味深い作品。
東京、葛飾柴又
フーテンの寅こと車寅次郎(渥美清)が、不意に実家の団子屋に戻ってきた。寸前に妹の櫻(倍賞千恵子)らが近所での寅の悪い噂話を披露していて、焦って急に歓待したからもんだから、当然、感付いてへそを曲げる寅次郎。更に横暴な態度をとった寅次郎に家族らの堪忍袋の緒が切れた。逆上した寅次郎はまたもやプイとでて行く。
しばらく後、櫻の旦那諏訪博(前田吟)の下に『ハハキトク』の電報が入ってくる。即座に櫻と博は、彼の実家がある岡山の備中高梁に向った。だが既に母親は他界しており、父親の飆一郎(志村喬)や兄弟たちが葬式の準備に追われていた。
そこに、ひょいと寅次郎が現れて・・・
子持ち未亡人に恋慕する寅次郎の顛末を描くシリーズ第8作。
ヒロインは東宝の池内淳子で帝釈天横に喫茶店をオープンする子持ち未亡人。美人だが薄幸で、自ら不運を引き寄せてしまうようなタイプに見える。
今回は寅次郎が振られるのではなく、己の情けなさに嫌気が差し、身を引く態なので違和感が残るのだが。
本作は全体的に喜劇よりも悲劇性が横たわる仕上がりとなっている。それは、前半で妹の亭主の家族模様、しかも葬式という母親の死を描いているからであろう。そこで起きる親子兄弟間の確執も決して喜劇的ではない。
その場面で父親役を演じる志村喬の見事さが映画全体を引き締めている。志村は第1作「男はつらいよ」(1969)、第22作「男はつらいよ 噂の寅次郎」(1978)と三度同じ役で登場している。
役どころは真面目で己の求道すること以外に興味がないカタブツ大学教授。不器用で、昔気質の明治男てな印象。
啖呵売で威勢良い寅次郎とは対照的で、ひたすら『受けの演技』に徹しているが、全てを取り込んでしまうブラックホールのような存在感を醸す。
その演技は役柄上、3回とも同じであるが、本作での白眉は主人公の「おいちゃん」こと叔父役の森川信との掛け合い場面である。
息の長いシリーズであるが、櫻の一人息子は成長と共に俳優が代わるのは当然として、おいちゃん役だけは森川信、松村達雄、下条正巳と三人が演じた稀有な存在。何せ、それ以外は全作同じ役者が演じたのだから。
個人的には初代おいちゃん役の森川信が大好きである。元々は浅草で活動していた喜劇人。その後、日本各地を回り人気を博した。
まさに昭和初期からの生粋の舞台人。ゆえに鍛えられ方が違うと感じる。要は不便で混沌とした時代に生の観客の息吹を感じながら生きてきた人間なので、舞台で培ってきた長年の経験からの絶妙の『間合い』があること。
これは落語の名人にも相通じるものがあると感じている。つまり、本作で明治生まれの苦労人役者の森川信と志村喬の完全なる「動と静」の息詰まるような珍妙さを醸しつつ、互いが一歩も引かず自分の演技を通していることに感動すら覚える。
主役の渥美清にしろ、志村喬や森川信といった不便な時代に苦労を重ねたからこその「味わい深い役者」は、世界規模で考えても二度と現れないだろうと、本作の妙なセンチメンタリズムと相乗し寂しくなる仕上がりの作品。