余談雑談 2016年3月12日

早いもので、震災から丸五年が経過した。しかも曜日も同じだった。多くの人たちが、当時の状況を想起したに違いない。

TVでも、ここしばらくは関連付ける番組が増加していた。忘れないことは良いことだが、未だに問題は山積。

何せ、経済最優先であるので、反省や検証は二割ぐらいで、後は、より良い便利な生活が優先。そのためには多少のリスクは致し方ない。

多くの市井の人間は、疑問符を付けながらも、結局、現状より自分の人生が悪化しない方を取るのも人の常。

震災直後の東京では計画停電が実施され、自分の地域はどうかと一喜一憂しつつ、ミネラル・ウォーターや牛乳の買占めに並ぶ人もいた。人間である以上、生存欲求があるのは当然である。

ただ、あの震災以降、確実に日本人に変化が起きていると感じている。

殊更、感じるのは歩行者の信号待ちの態度。地元の有名観光地は、車両制限地帯が多く、実に人にやさしい。

ノンビリと観光を楽しみながら、不意に立ち止まリ写真を撮ったり、食べ歩きをするには、クラクションを鳴らしながら走ってくる車もなく、安心して観光できる。

そんな場所で、車両も来ないのに、小さな交差点でも歩行者信号をきちんと待つ人が圧倒的に多いと感じるようなった。

面喰っているのは海外の旅行者である。国によっては、信号や横断歩道に関係なく、周囲を気にしつつも渡るところも多い。

同じところに長年住んでいるが、震災以前は、日本人でも車さへ来なければ、当然のように渡っていた。

それが、誰が指導したわけでもなく、自主的に信号を守り、どう考えても渡れるのに行かない。

もしかして、震災の時の政府なり、メディアなどの対応に不信感を確信し、御上の発表など信じず、自分たちの『周囲の空気』を読む本能が常態化したのだろうか。

当然、規則を守るのは良いことだし、安全第一である。でも、そこに何か恐怖感を抱く自分はやはり変わり者か。

そんな信号待ちで何とも興味深いのが、外国の観光客たち。日本人の態度に驚きながらも、追従して待つのはアジア系という印象が強い。中国人はマナーが悪いとも聞くが、それだって何故という顔をしながらも同調する。

関係なく、問題ないと解れば、周囲を気にせず当然のように、ごく自然に渡るのはヨーロッパ系。というよりもフランス人かな。逆に、何故、キチンと信号待ちしているのかと、周囲を不思議そうに見たりするから面白い。

色眼鏡で見ているのかもしれないが、妙に日本人が、良い意味でも、別な意味でも、こじんまりとしてきていると。

それだって、今でも被災地にボランテアに通う人間もいるし、以前とは逆に電車等で席を譲る若者も、若干増加した気もする。

多様化された価値観が、自主規制や温故知新とかで平均化しつつあるのか。

正解は、各々の価値観によるのか。その「価値観」そのものを持ち合わせていれば、取り敢えずは良いんだよな。

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