スタッフ
監督:マイケル・ウィンターボトム
製作:デヴィッド・M・トンプソン、スチュワート・ティル
脚本:ローレンス・コリアット
撮影:ショーン・ボビット
音楽:マイケル・ナイマン
キャスト
ナディア / ジーナ・マッキー
デビー / シャーリー・ヘンダーソン
モリー / モリー・パーカー
ダン / イアン・ハート
エディ / ジョン・シム
アイリーン / キム・マーカム
ティム / スチュワート・タウンゼント
ビル / ジャック・シェパード
ダレン / エンツォ・チレンティ
日本公開: 2000年
製作国: イギリス BBC/フィルム作品
配給: アスミック・エース
あらすじとコメント
都会に住む愛に飢えた若者たちの空虚な現実。底辺に流れるのは、前回扱った「ワンダーランド駅で」(1998)と同じ。しかも双方の原題に「WONDERLAND」が付く。ただ、アメリカとイギリスという国民性と映画表現の違いに着目して選んでみた。
イギリス、ロンドンソーホーのカフェで働くナディア(ジーナ・マッキー)は、伝言ダイヤルで恋人を探す日々を送っていた。裕福ではないが、何とか生活はできている。だが、11月という時期からでもなかろうが、どこか心に北風が吹いていると感じてた。
今日も、伝言ダイヤルで知り合った男とパブで合ったが、不思議な味のカクテルを勧めるなど、どうにも胡散臭い。彼女はトイレに行くと嘘を付き町にでた。
そこには様々な人間が漂っている。皆、自分と同じなのだろうか。否や、幸せそうなカップルもいる。でも、心の底では自分と同じような気持ちなのかもしれない。
そんな彼女が家に帰ると姉妹の臨月間近のモリー(モリー・パーカー)から電話が来た・・・
都会に住む人間たちの絶望的な孤独感を浮かび上がらせる集団人間ドラマ。
離婚して6歳になる息子と暮らす美容師の長姉、出産間近の元教師の次姉、そして現在家出中の長男と主人公の四人兄弟。
父親は仕事もせずに、人生に何ら希望を持っていない風情で、母親は、どこか人間嫌いで、いつも隣家の犬の鳴き声にノイローゼ気味。
メインはそんな家族たち。その他にも、両親宅の近くに住む黒人母子家庭や、長女の元夫、臨月の次姉の亭主などが重要な絡み方をしてくる。
誰もが身勝手。というか、不景気の所為か、諦念している者、もがき苦しんでいる者と様々である。それぞれが言うに言われぬ絶望と孤独感に苛まれているようにも見える。
大都会の片隅で各々の人生の壁にぶつかりながら、所詮は、ひとりで決めていく人生を歩むしかない。家族といえども、個人は個人というドラマが繰り広げられていく。
本作は、各々個人の悩みをあぶりだしながら、主人公の両親と出産間近の次姉の『夫婦』、長姉と隣人の黒人家庭という『母子家庭』の同じポジションに生きる人間らを対比的に描いていく。それによって、それぞれの『個』が違うことを浮かび上がらせながらも、妙なシンクロニシティがあるという進行。
唯一、子供や恋人もなく、いつもひとりで思い悩むのが主人公なのだ。
そして、登場場面は少ないものの、人生の絶好調を具象化して見せてくれる、恋人と旅行中の家出している長男。
やがて母子家庭双方の息子にも重要な転機が訪れる。
特に興味深いのは、男性の描き方。家出中の長男とそれぞれの母子家庭の息子たちは好意的に描きだされるが、他の成人男性はどうにも不甲斐ない描かれ方で、まるで、成瀬巳喜男が好んで描いた男性像ばかりである。
ここでも、『個人は個人』なのだが、心の底辺に流れる感情はシンクロしている。つまり、男たちは年を重ねれば重ねるほど幼稚化し、背伸びしようとする若者たちにも、将来同じジレンマが訪れるであろうと想起させるのだ。
ストーリィ設定は、成瀬的市井の人間ドラマであり、映画としての描き方は、ロバート・アルトマンの集団群像劇的。
中流層の市民の人生としては、充分に劇的なことが起きるが、映画としては、どこかドキュメンタリー的で、劇的な展開ではないというジレンマ。
それでも、終盤にでてくる遊園地と冬の花火シーンには極北感が充満し、観ている側の心の北風を覚醒させる。
他人からすれば、誰にでも起きえることと注目もしないが、本人たちからすれば、重要な人生の岐路なのだということを静かに見せてくれる、いかにも現代的な佳作。