うつくしい人生 – C’EST QUOILA VIE?(1999年)

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スタッフ
監督:フランソワ・デュベイロン
製作:モーリス・ベルナール
脚本:フランソワ・デュベイロン
撮影:永田鉄男
音楽:ミシェル・ポルタル

キャスト
ニコル / エリック・カラヴァカ
祖父 / ジャック・デュフィロ
マリア / イザベル・ルノー
父 / ジャン・ピエール・ダルッサン
モニク / ミシェル・ゴデ
ローレ / クローディーヌ・マヴロ
パティ / エリー・タザルデ
レミー / リチーノ・ダ・シルヴァ
ポリーヌ / ジュリー・アン・ロス

日本公開:2002年
製作国: フランス サロメ、ディアファナ作品
配給: プレノン・アッシュ


あらすじとコメント

前回の「アリスの出発(たびだち)」(1995)は、田舎から都会に憧れてでていく若い女性のドラマだった。今回は、逆に都会から田舎に来た女性が絡む話で、主人公自体は農村で生きる青年。閉塞感に苛まれ、且つ、絶望的な状況を描いた内容で、美しい画面が却って虚しさを倍加させている作品。

フランス 南部田園地帯牧畜業を営むとある一家。ニコラ(エリック・カラヴァッカ)は、長男で、他に祖父母、両親、妹の6人家族。だが、彼は長男として家督を継ぎ、このまま一生を終えることには虚しさが勝っていた。だからか、牛の出産にも躊躇し、何とも頼りにならない始末。それでも、一緒に子牛を取り上げた祖父(ジャック・デュフィロ)は、暖かなまなざしで彼を見守る。

ある日、街にでたニコラは、帰る方面が同じということで都会から来て山奥に住むというマリア(イザベル・ルノー)を車で送ることになった。

だが、途中で疲れから眠気に襲われたニコラを見て、優しく運転を代わるわと言うマリア。その笑顔に彼は・・・

田舎に住む人間たちの苦難に満ちた生活を描く人間ドラマ。

生まれも育ちも田舎。閉塞感の中でしか生きられない主人公。かといって大志を抱いて大都会にでて行く勇気もない。

倦怠的な日常には満足できるはずもなく、それでいて何ら活路を見いだそうともしない。やがて、そんな彼の家族に次々と災難が降りかかってくるという展開。

アメリカ映画とは全く違うフランス映画特有の雰囲気が全編を覆い、好きな人間には堪らないが、そうでもない観客は間違いなく途中棄権してしまうであろう作品。

何せ、次々と家族を襲う災難が、あまりにも暗く、且つ、先行きの希望を全く感じさせないから。

全員がリアルで、演じているという雰囲気を喚起させないので、彼らの身上が嫌というほど解り、薄気味悪い閉塞感に纏わり付かれてくる。

田舎で生活することが、どれほど大変なことか。若い仲間たちと寂びれた村のディスコに行っても、いつもまったく同じ顔ぶれで一切、変化などない。しかし、他に娯楽など皆無なのだ。

そこに都会から移り住む女性が登場し、主人公に恋愛感情を覚醒させるが、それ以上に家族に起こる災難が、すべてを打ち消していく。

本当に暗い展開のオンパレード。戦前のフランス映画というと悲劇性の強い作品が多く、それに憧れた日本人が多いのも事実だが、まさしくその流れを感じさせる作品。

しかも特筆すべきは、撮影を担当したのが日本人で、何故か妙にマッチする琴の即興演奏をしたのも日系アメリカ人。

この二名の日系人が絡むことによって、何とも不思議な雰囲気が醸しだされている。

特に『黄色』を強調するカメラワークは、黄昏感を増幅し、大自然に囲まれながらも、閉塞感しかない田舎暮らしの日常を描くことに成功していると感じる。

役者陣では、祖父役を演じたジャック・デュフィロが圧倒的な存在感を見せる。彼なしに本作の成功はなかったと言えるだろう。

あまりにも静かに、劇的な災難が降りかかってき続ける作品なので、鑑賞には注意されたいが、個人的には好みの一本。

余談雑談 2016年6月11日
沖縄滞在中である。今年の入梅は早いと口を揃えた気象予報士情報を鵜呑みにし、早割を意識して予約したことが祟り、こちらは「梅雨」の最中。しかも、出発前に東京も梅雨入りした。 とはいえ、妙に好天に恵まれたのは同行の友人の日頃の行いゆえだろう。しか