スタッフ
監督:ジャン・シャルル・タケラ
製作:マリ^・ドミニク・ジローデ
脚本:ジャン・シャルル・タケラ
撮影:ジャック・アシュリュー
音楽:レイモン・アレッサンドリーニ
キャスト
ラフォン / ロバン・ルヌーチ
ブリュ / ジャン・ピエール・バクリ
マルタン / カトリーヌ・ルブランヌ
クロード / ジャック・ボナフェ
ベアトリス / カトリーヌ・フロ
ヴィルジル / ジレ・ガストン・ドレフェス
シャルロット / フロレンス・ジョルジェッティ
ベルナール / モニー・レイ
コンラッド / ジャック・ウェベール
日本公開: 1987年
製作国: フランス フィルム7、FR3フィルム作品
配給: シネセゾン
あらすじとコメント
前回の「パリ空港の人々」(1993)は、空港から出られない人間らが狭い一室で共同生活を送る、一寸した群像劇だっだ。今回も狭いアパートに暮らすクセのある人々の群像ドラマ。小品ながら、フランス人を理解するには好材料の作品。
フランス、パリ19区にある古ぼけたアパート。C階段で3階まで繋がる各部屋には、クセのある人間ばかりが暮らしていた。
筆頭は、外交官の父親のすねかじりながら芸術評論家をしているラフォン(ロバン・ルヌーチ)。無職のブルーノ(ジャン・ピエール・パクリ)。他に、小説家の男とタイピストの女は、上下の部屋に別々に暮らしている恋人だが、いつも痴話喧嘩が絶えない。そして3階にはゲイのクロード(ジャック・ボナフェ)がいた。
ラフォンは女にだらしなく、その上、傲慢で嫌味しか言わない男だが、それでも付いてくる女はいる。ある朝、一晩を共にした女を侮辱しながら追いだした。痴話喧嘩のカップルもお互いを罵り合い、朝から騒がしい。
そんな中、3階のクロードの部屋から、尋常ではない悲鳴が聞こえてきた・・・
自分を見出せず他人に排他的になる人間たちを描く青春群像劇。
親のすねかじりのくせに生意気で高慢な主人公。無類の女好きで、すぐに口説きにかかるが、その方法も、実にもったいぶった駆け引きでイヤらしい。
誰もが感情移入できないようなタイプ。だが、それこそが、ステレオ・タイプではあるが、フランス人のインテリ・スノッブというイメージ。
そんな主人公を取り巻くアパートの住人たちそれぞれのドラマが断片的に描かれ、全部に主人公が、くちばしを挟む。
なんとも嫌な奴で、他の住人たちは、それでも主人公を「一個人」として認め、ぶつかったりするものの、「同じ穴の狢」として接してくる。
当然、それすら気に入らない主人公。そんな住人たちの人間模様の中に、住人ではない女性が絡んでくる。
それが主人公が新たに惹かれる女性。男女平等というか、男勝り。その上、ゲイの青年の心優しい対応に、妙な感情まで芽生えてくるからややこしい。
何ともシニカルで、日本人には素直に入り込めない、個を確立した上での自由が人生の基本であり、それでいてお節介。かといって排他的というフランス人気質。
成程、正式に結婚せずとも、『事実婚』が認められ、『同性婚』もOKだ。
ただし、前出したように、あくまで自分の人生に責任を持った上での、ある意味、ワガママである。
主人公はボンボンのくせに認知欲求が強い。だが、神経質であり、その脆弱さを悟らせないために他人に攻撃的になる。
当然、そこに浮かび上がるのは人間としての孤独である。
そのジレンマが更に排他性を強めさせて行くが、アパートのひとりの住人に起きた出来事から、劇的に変化していく。
鍵となるのは人間誰もが抱える『孤独という闇』。その闇が開放されて行くところが本作のメインではあるが、それだって劇的に盛り上げることはない。
本作の監督ジャン・シャルル・タケラという女性がかなりのクセモノで、それこそフランス人的、斜に構えたというか、一筋縄では行かない人物と感じる。
「不倫モノ」というよりも、「姦通映画」と呼びたい傑作「さよならの微笑」(1975)が、最たる例だろう。
しかし、その姦通映画の後に公開されたのが本作で、当時、戸惑った思い出がある。
彼女の監督作品は、あまり日本で公開されていないので、比較しようがないのだが、彼女に影響された現在のフランス人監督は多いだろうと推察される。
斜に構えた、掴みどころというか、感情移入がしづらい典型的なフランス映画なので、「ツマラん」と感じる人も多いに違いない作品。
それでも、タケラ監督らしいヤラシサは、個人的には好物である。