やっぱりここも都々逸で行こう。
「招く蛍は手元に寄らず 払う蚊が来て身を責める」
人生はそんなもんさ、という比喩。でも待てよ。それが行き過ぎればストーカー。
しかも、それはバーチャルではなく、実際に目視できるとか、相手が特定できた時代のことだろう。
となると、昔は力を誇示したい男がか弱いと思い込んでいる女性に対してする言動が主流だったのだろうか。
そもそも都々逸は、花街や遊郭の女性が謳ったもの。『嫌な旦那』というか、昔なら悪代官か、悪徳商人的な男か、はたまた自惚れ強い若旦那や、やくざ者を指しているのか。
立身出世すれば、それを他人に認知させたくなるのも人間の欲望だろう。ある意味、解りやすい。相手の感情よりも己の欲望優先。
ただ、時代は変わった。現在は、見ず知らずの相手や、ネットなりSNSでヒットした相手を対象とする場合も多いのだろう。
独りでいる時間が長く、誰とも実際には会って対峙しない。それでいて認知欲求が高い。
無視され続けると独りで思い込む時間ばかりが増加し、その憂さを晴らす行動に出る。しかも、決まって自分より弱い対象を選ぶのも生き物としての本能なのか。
花街で遊ぶだけの地位を築いた時代と夢も見いだせず、それでいて情報過多による「それなりの大物感」的自負。
歳を重ね、経験値も上がれば、やがて人生は「引き算」が重要とも感じる。
引くに引けぬ事態もあるだろうが、ジタバタすることと、潔く負けることも個人の価値観だ。
そもそも、とっくの昔に蛍自体が見い出せなくなってるよな。