シン・ゴジラ   平成28年(2016年)

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スタッフ
総監督:庵野秀明
特技監督:樋口真嗣
脚本:庵野秀明
撮影:山田康介
音楽:鷲頭詩郎、(伊福部昭)

キャスト
矢口 内閣官房副長官 / 長谷川博己
赤坂 総理補佐官 / 竹野内豊
パターソン 米大統領特使 / 石原さとみ
志村 官房副長官秘書官 / 高良健吾
大河内 内閣総理大臣 / 大杉漣
東 内閣官房長官 / 柄本明
泉 保守第一党政調副会長 / 松尾諭
尾頭 環境省課長補佐 / 市川実日子
花森 防衛大臣 / 余貴美子
財前 統合幕僚長 / 國村隼

製作国: 日本 東宝映画作品
配給: 東宝


あらすじとコメント

しばらく振りの番外編。何となく気分が乗らず、またタイミングを見いだせないまま数年経過。それが、現在公開中の本作を見て、どうしても紹介したくなった次第。

東京東京湾内に一艇のプレジャー・ボートが漂流していた。海上保安庁が乗り込んで調査すると無人で、『私は好きにした。お前らも好きにしろ』というメモが見つかる。船から落ちたらしいと報告している最中、突然、激しく船が揺れた。

何と、東京湾で海底火山の爆発と同様な事象が起きたのだ。突然の出来事に、会議中だった大河内総理(大杉漣)を筆頭に、矢口内閣官房副長官(長谷川博己)らは、テレビの生中継を見て、海中から尻尾のような物体が見え隠れしたのを確認した。

一体、あれは何なのか。事態を掌握するべく、更なる会議が招集されたが・・・

21世紀の現在に、怪獣が出現したらどうなるかを興味深く描いた作品。

第一作の「ゴジラ」(1954)は、戦後九年目の公開で、まだまだ戦争中の空襲、原爆投下による広島、長崎の惨状、また「第五福竜丸」の被爆による核の恐怖が、誰の心にも瑕として残っていた。

それにより、観客は誰もが嫌な記憶を喚起されたといわれている。

だが、それ以後は徐々に子供向けに転向し、くだらない映画群と位置付けされていった。後にハリウッドでも二度ほどリメイクされたが、やはり、どこか『絵空事』という印象だった。

それが何故、今更、日本でゴジラを復活させたのか。

復活させた張本人である庵野秀明は、若い人には熱狂的ファンがいるらしいが、アニメの監督というイメージで、完全スルーであった。

しかも、どうやら日本政府の対応がメインであるということだけで、他は完全秘密主義のまま公開された。

そういった予備知識なしで鑑賞したのが大正解。完全に、第一作同様、大人向け怪獣映画だったのだ。

興覚めに拍車をかける、バトルする他の怪獣や、ありもしない自衛隊の秘密兵器、テレパシーでコンタクトする子供などはおろか、市民代表的メイン・キャストも登場しない。

完全に自衛隊を含めた政府関係者だけで進行する内容。しかも専門用語のオンパレードの上、早口なので聞き取れない台詞も多い。

ただ、腹の据わった政治家やトップがいない現況で、もし、「想定外」の「巨大不明生物」が突如出現し、東京を跋扈し始めたら政府はどう動くかを、実に興味深く、さもありなんと描写していく。

戦争体験者ばかりの第一作当時の観客らと違うが、東日本大震災や福島の原発事故を体験した我々は、まさしくあの時に引き摺り戻される。

肌が覚えている恐怖感の再現なのだ。しかも、自衛隊は本当に自国内で武器使用が可能なのかとか、当然、米軍は安保条約を順守するのかとか、更に近隣アジア諸国や、世界まで巻き込む『怪獣』出現では、日本経済から世界情勢はどのように影響されるのかというシュミレーションも、練り込んである。

ただし、あれだけの『怪獣』をどう封じ込めるかというアイディアは、流石に、ご都合主義とも取れるが、それを実行するために繰り広げられるクライマックスは見もの。

国家存亡の危機に、何を残し、何を棄てるのかとあれだけ腹の据わったことを想定しないといけないのだろうとショックを受け、口が開いたままになった。

第一作での「品川陸橋」での恨みを「東京駅」で返り討ちにする現JRの描き方など、笑みを浮かべる場面もあるし、人間が入って演じる「着ぐるみ」ではなく、CGによって描かれるゴジラの動きの元に、狂言師の野村萬斎を起用するという着想にも驚いた。

それに自分も大好きで、庵野総監督も敬愛するらしい故岡本喜八監督を絡めたことには感動すら覚えた。

また、個人的に秀作と位置付けする「独立少年合唱団」(2000)で、岡本喜八を役者として出演させた緒方明、凄まじいドキュメンタリー映画の「ゆきゆきて、神軍」(1987)の原一夫、他にも犬童一心という映画監督を小馬鹿にした役柄で、一堂に並べて出演させる遊び心。

故岡本監督を絡めたことで、すぐに連想したのが、政府の会議の場面である。

閣僚らの個人名と役職名が次々と字幕で登場し、短いアップのカッティングで繋ぐ場面は、「日本のいちばん長い日」(1965)でのポツダム宣言受諾可否の場面を連想させるし、一定のリズミカルなカット割の編集も、岡本スタイルの踏襲である。

確かに、アニメ・ファン、怪獣映画ファンや、政治信条の異なる観客には数々の不満もあるだろうとも感じる。価値観はそれぞれだ。

しかし、そういう賛否が巻き起こることをを踏まえた上で、『私は好きにした。お前らも好きにしろ』という遺書めいたメモに岡本喜八を絡めたことこそ、以後の本作への評価に対しての庵野の腹積もり、というか、捨て台詞であり、最大の喜八リスペクトであろう。

それにしても、これほどリアルに『ゴジラ』を現代社会に復活させた力量は大したもの。商業ベースの大作日本映画としては、今世紀に入ってからの稀有な作品だろう。

しかし、この内容で、客を呼べるためだけの演技も出来ない人気アイドルや金は出資してやるが、知ったかぶりして、脚本に横槍を入れたがる輩たちを騙し、良くぞ製作出資金を集められたなとも思う。

余談雑談 2016年8月18日
やっぱりここも都々逸で行こう。 「招く蛍は手元に寄らず 払う蚊が来て身を責める」 人生はそんなもんさ、という比喩。でも待てよ。それが行き過ぎればストーカー。 しかも、それはバーチャルではなく、実際に目視できるとか、相手が特定できた時代のこと