スタッフ
監督:ディック・リチャーズ
製作:ポール・A・ヘルミック
脚本:エリック・バーコヴィッチ、グレゴリー・プレンティス
撮影:ローレンス・E・ウィリアムズ
音楽:トム・スコット、ジェリー・ゴールドスミス
キャスト
ベン / ゲーリー・グライムス
カルペッパー / ビリー・グリーン・ブッシュ
ルーク / ルーク・アスキュー
ブリック / ボー・ホプキンス
カルドウェル / ジェフリー・ルイス
ピート / マット・クラーク
ナサニエル / アンソニー・ジェームス
牛泥棒 / ローヤル・ダーノ
ティム / チャールズ・マーティン・スミス
日本公開: 1973年
製作国: アメリカ リチャーズ&ヘルミック・プロ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
少年の成長。主演は前回の「おもいでの夏」(1970)と同じくゲーリー・グライムス。今回は、カウボーイを夢見る少年のショッキングな体験を描く西部劇。
アメリカ、テキサス母親の洗濯業で生計を立てるベン(ゲーリー・グライムス)は、母子二人だけの家庭である。洗濯物の配達をしながら友人と馬車競争をして過ごすだけの日々。
そんな閉塞的な生活から脱したいとベンは母親に隠れて拳銃を購入し、あこがれのカウボーイになりたいと友人に告げる。丁度、地元でカルペッパー(ビリー・グリーン・ブッシュ)が率いる大規模な牛の搬送があるというので、それに参加したいんだと。
そしてコック助手として採用が決まり、母親に次第を告げると、不安と期待に揺れながらキャトル・ドライブに参加した。まったくの未知の世界だが、周囲の先輩たちは、一癖も二癖もありそうな面々ばかり。当然、馬鹿にされるが、ベンは何とか大人の仲間入りをしようと躍起になる。
だが、その前のめりの態度が・・・
少年の憧れの現実と失望を描くニュー・シネマ的西部劇。
一丁前の男になりたい少年。情報量もない時代に、単純に夢と希望に胸が膨らむ。狭い世界での貧乏な生活から脱出して、行く行くは立派なカウボーイになるのだと。
しかし、現実のカウボーイたちは、大人の常識や教養があると思えない汚い人間ばかり。喧嘩早かったり、相手を人間とも思わず、銃によって決着をつけたがる連中だ。
進行は想像が付くだろう。
果たして、その通りに筋は運んでいく。何も知らぬ少年には驚天動地の日常。しかし、何も知らぬくせに一丁前になろうとするから、トラブルを次々と誘発していく。
すべては経験値の少なさの成せる業だが、それでも前向きだ。
途中、牛泥棒との一戦があり、犠牲者がでたために、リーダーが旧知の人間を呼び付けようとする。その相手を呼びに行くのが主人公。
当然、単身時でも、合流後も、道中でトラブルが起きる。しかも、登場してくる旧友というのが、かなり乱暴で単純な行動で決着を付けようとするから厄介だ。
助っ人に来た旧友には仲間も同行して来ているから、合流後、今度は以前から参加しているカウボーイらと軋轢が生じる。
更に主人公が止せば良いのに的行動にでて、泥沼化させていく。
確かに、西部劇でも、未成熟の少年や青年が、トラブルを起こしつつも、主役である人物らに助けられ立派に成長する映画も多いが、性格設定が、どうにも往年のウエスタンであれば、脇役で途中で死んでしまうようなタイプ。
そんな少年を主人公に据えて描いていくのは、やはり「アメリカン・ニュー・シネマ」という潮流の成せる技であろう。
しかも、リアリティを醸しながらの進行なので、カウボーイたちの汗と埃の染み込んだ雰囲気がこちらに伝わる。
人生は決して綺麗事ではない。しかも、単純で勧善懲悪的な西部劇でもない。
少年の成長を描くドラマなのだが、本作がデビューのディック・リチャーズの気負った思い込みが、メリハリを緩和し過ぎて散漫な印象になってしまっているのが残念。
要は、ロード・ムーヴィー的青年の成長を追いつつ、日常のさりげない出来事を描くことで、人間ドラマとして成立させようとしているが、設定が西部劇ゆえに、何とも違和感があるということ。
ただし、出演陣は素晴らしい。当時、アメリカ映画の中で、個性的で常に印象深い脇役を演じていた役者たちが数多く出演している。
思い起こすと、主役よりもご贔屓脇役のために鑑賞に出向いた作品も数多い。そんなご贔屓の面々が一堂に会している愉悦があるも事実。
それぞれが適材適所で、彼らを見ているだけでも満足である。
ここで取り上げるに当たり、再見したが、それにしても当時は脇役層の幅が広かったよなと複雑な心境に陥った。
主役など決して張れないが、数多い出演作があり、主役を完全に喰うほどの強烈な印象を残す脇役たち。
決して、『名脇役』ではなく、どちらかというと『B級俳優』という印象。
それでも、映画の出来栄えより、彼らに会えるだけで心が弾んでしまった妙な作品。