スタッフ
監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作:ウラジミール・ボゴモロフ
脚本:ウラジミール・ボゴモロフ、ミハイル・パパワ
撮影:ワディム・ユーソフ
音楽:V・オフチニコフ
キャスト
イワン / コーリャ・ブルリヤーエフ
ホーリン大尉 / ワレンティン・ブルコフ
ガリツェフ中尉 / エビジェニィ・ジャリコフ
カタソーノフ / ステファン・クルイロフ
グリヤズノフ中佐 / ニコライ・グリンコ
マーシャ / ヴァレンティーナ・マリヤビナ
イワンの母親 / イリーナ・タルコフスカヤ
老人 / ディミトィ・ミリューチェンコ
眼鏡の兵士 / アンドレイ・コンチャロフスキー
日本公開: 1962年
製作国: ソ連 モス・フィルム作品
配給: 東和
あらすじとコメント
第二次大戦下での少年と戦争。今回は、ドイツとソ連の戦いで、大人たちの部隊に、たった一人絡む少年を描いた佳作。
ソ連、ドイツ国境近く第二次大戦末期のこと。川端にあるソ連軍中隊本部にいたカリツェフ中尉(エビジェニィ・ジャリコフ)の元に、ひとりの少年が連れられてきた。影があり、生意気な少年イワン(コーリャ・ブルリヤ-エフ)で、「司令部の51番に、僕が来たことを伝えよ」と言うだけで、他には、何も話さない。
あまりにも横柄な態度なので、そう簡単に連絡はできないし、先ずは、自分の上司に報告してからだと答える中尉。それでも、同じ言葉を繰り返すだけのイワン。遂には脅迫めいたことまで言い放つ中尉に、川を泳いで対岸から来たとだけ答えた。
そんなことはありえない、対岸はドイツ軍陣営であり、そもそも、何故、そこにいたのかと続け様に詰問する中尉。埒が明かないと判断したイワンは、自分で電話すると言いだす。根負けした中尉はイワンの要求通りに51番のグリヤズノフ中佐(ニコライ・グリンコ)に電話して、少年のことを告げる。
すると、電話口の向こうから、すぐにイワンに変われと命令され・・・
戦場に生きる少年の姿を悲惨と幻想を交差させつつ描く反戦映画の佳作。
家族全員を亡くし、独りぼっちになった12歳の少年。そんな彼が主人公である。
殺された家族の復讐を誓い、斥候として敵陣に侵入し情報収集を行っている。そんな少年を親代わりとして可愛がっているのは、中佐を含めた三人の兵隊たち。
しかし、戦場であり、常に死と隣り合わせの場所である。情報収集には最適ではあるが、当然、後方に送りたいと思ってもいる。しかし、少年は頑として首を縦に振らない。と言うか、過去にも後方に送致したが脱走し、戦場に舞い戻ってきている。
それほどまでの復讐心を持っているのだ。だが、今回の情報で、遂にソ連軍は激しい攻勢をかけることが決定し、流石に、全員が死ぬ可能性がある。
更に、冒頭で少年の横柄な態度に業を煮やした若き将校も合流してのドラマが繰り広げされる。
監督は、後にロシアを代表する巨匠になるアンドレイ・タルコフスキーであり、彼の長編第一作。
1962年のヴェネツィア国際映画祭で金賞を受賞した作品であるが、当時は東西冷戦下の時代で、西側文化人らの間で論争が起きた作品でもある。
個人的には、悲惨でリアリティ溢れる戦場場面と、相反する主人公の心模様と過去を描く幻想的な場面との落差が上手く噛み合っていないと感じた。
若い女性衛生将校のシークエンスも少年同様、「女性」という戦場での弱者を強調させるべく描いているが、散漫化させた気もする。
それらにより、大人たちの、それぞれの事情や人間のバックボーンを描きたかったのであろうが、リズム感が寸断され、見る側の感情移入の対象が分散されてしまって一定の感情で観て行けなかった。
それでも、若い監督らしい瑞々しさが感じられ、それが現実の悲惨さ強調させることには成功している。
少年であるが男。そして大人であるが子供じみている兵たち。誰もが正常で居られないのが戦場である。
生死の狭間で生きる日常。それが戦争であり、絶対悪は片側にあるのではないと表現したかったのだろう。
ただ、やはり反戦映画であるので、そこに希望は存在しない作品。