スタッフ
監督:アーヴィング・ラッパー
製作:モーリス・キング、フランク・キング
脚本:ハリー・フランクリン、マリル・G・ホワイト
原作:ロバート・リッチ
撮影:ジャック・カーディフ
音楽:ヴィクター・ヤング
キャスト
レオナルド / マイケル・レイ
ロシロ / ロドルフォ・ホヨス
マリア / エルザ・カーデナス
ドン・アレファンドロ / カルロス・ナヴァーロ
ランドール / ジョイ・ランシング
リベラ / フェルミン・リヴェラ(本人)
サルヴァドル / ジョージ・トレヴィノ
マヌエル / カルロス・フェルナンデス
日本公開: 1956年
製作国: アメリカ キング・ブラザース・プロ作品
配給: RKO
あらすじとコメント
今回も少年がメインの作品。しかも、鉄板である「動物」が絡む涙腺直撃を狙ったファミリー映画の佳作だが、そこには陰謀遠慮なる大人の視線が横たわる。
メキシコ、とある寒村。小学校に通う少年レオナルド(マイケル・・レイ)は、母親に死なれ失意の底にいた。しかも、一頭だけ家に残っていた牛もが、牧場主の所有ゆえ、取り上げられることが決まってしまう。この先、どうやって生きて行けばよいのか、と悩むレオナルドら残された家族たち。
そんな彼は、ある嵐の夜、落雷で絶命した飼牛の横で、生まれたての子牛が生きているのを見つける。これは神様からのプレゼントだと感じた彼は、父親に育てたいと懇願する。だが、その子牛も牧場主のものである。当然、牧童頭は、無理矢理に烙印を押した。
しかし、どうしても育てたいと願う彼は学校の教師に、牧場主宛ての手紙をだして欲しいと懇願した。やがて、牧場主からプレゼントするとの返事が来た。有頂天のレオナルドは、その牛を『イタノ』と名付け、懸命に育てた。
やがて成長著しいイタノは、闘牛の本来の性質を目覚めさせ、周囲を驚かせて行く。すると、牧童頭が、そんなイタノの才能に眼を付けた・・・
素直な少年と牛の奇跡の交流を描く感動作。
母を亡くし、失意の少年が子牛を育てることで様々な人生経験を積んでいく。いかにもストーリィであるが、それでも、単なる「児童映画」ではない。
確かに貧しいながらも純真な少年と牛の関係はストレートであるが、自分に学がないことで劣等感を感じ、また、自分の立場を逸脱しようと思わない父親。一方で、姉の恋人は闘牛士になり、名声と地位を得たいと願う若者だ。
大牧場主は善人的大金持ちで、金髪のアメリカ女性を伴っている。当然、メキシコ人であるし、自分の生業である闘牛の正当性を教えるが、アメリカ女性は、残酷だと言い切る。
そういう周囲の大人たち。
物語は、結局、類稀なる闘争心を持つ牛を取られ、メキシコ・シティで行われる闘牛用として連れて行かれるという展開。
すると少年は、父や姉に黙って、何とか取り返そうと家出してしまう。まさに大冒険である。
荒涼たる荒野の田舎から、いきなり大都会へ来て戸惑う少年。単純に奪還出来るわけもないし、それは泥棒行為とも知っている。さて、少年はどのような行動を取っていくのか。
それでも、所詮、少年である。そこは大人の知恵に頼ったり、権力者に依頼しようと、何処までも素直である。
しかし、それがある意味、奇跡へと連鎖して行く。特にクライマックスでの、自らが演じる超有名闘牛士と牛の闘いのシーンは迫力があり、素晴らしい。
刻々と、大観衆の眼前で殺される愛牛の運命の時間が近づく中、少年は決してあきらめずに翻弄し続ける。
素直に涙腺が緩んでくるが、実は、本作の白眉はその原作者にある。
ロバート・リッチ。誰かと思うに違いない。それはペンネームであり、実はダルトン・トランボである。
「ローマの休日」(1953)等を書いた名脚本家であるが、『赤狩り』の餌食となり、ハリウッドを追放された人物。
ゆえに単純なストーリィでありながら、メタファーに富んでいるのだ。
しかも、映画の内容よりも、事実は奇なりなことは、赤狩りに対し自己批判に苛まれていたハリウッド人種が、本作がトランボ作であることを知り、こぞって投票し、何とアカデミー原作賞を受賞させてしまったこと。
当然、トランボが授賞式に現れることはなかったのだが。
その一票を投じた人間たちは、本作に一体、何を見いだしたのだろうか。
まさしく、単純ながら単なる児童映画ではない、メタファーが漂う作品である。