スタッフ
監督:マーティン・スコセッシ
製作:デヴィッド・サスキンド、オードリー・マース
脚本:ロバート・グッチェル
撮影:ケント・L・ウェイクフォード
音楽:リチャード・ラサール
キャスト
アリス / エレン・バースティン
ディヴィッド / クリス・クリストファーソン
ハイアット / ビリー・グリーン・ブッシュ
ベン / ハーヴェィ・カイテル
フロー / ダイアン・ラッド
ヴェラ / ヴァレリー・カーテン
ベア / レリア・ゴルドーニ
オードリー / ジョディ・フォスター
トミー / アルフレッド・ルッター
日本公開: 1975年
製作国: アメリカ デヴィッド・サスキンド・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
女優ジョディ・フォスターが少女時代の作品で繋げた。マーティン・スコセッシ監督の認知度が上がった作品でもある。
アメリカ、ニュー・メキシコ専業主婦のアリス(エレン・バースティン)は、最近、特に自分に無関心になった亭主(ビリー・グリーン・ブッシュ)と反抗期に入った11歳のひとり息子トミー(アルフレッド・トッタ─)の三人で暮らしていた。
幸せなはずだが、どこか空虚な日常に疲れていて、幼少時代を過ごした実家のあるカリフォルニアのモントレーを懐かしみ、結婚を機にあきらめた歌手の仕事に未練を残していた。それでも、虚ろな日常は続いている。
そんなある日、仕事中の亭主が交通事故で、あっけなく死んでしまう。途方に暮れるアリスだったが、これを機に息子と自分の故郷のモントレーで新生活を始めようと家屋を引き払い、車で走りだした・・・
中年女の人生模様をしっとりと描くアメリカン・ニュー・シネマとは一味違う好篇。
男依存症の35歳になる人妻が、亭主に死なれ、生意気な息子と生まれ故郷目指して旅にでる。
ところが、所持金が少ない上、故郷に親類縁者もいない。単純に亭主の残り香が漂う場所を離れたいだけという、現実逃避とも見えるし、故郷だって、単に思い込みだけで懐かしんでいるとしか見えない。
『等身大』といえば聞こえは良いが、思慮深いタイプでもなく、場当たり的な価値観しか持ち合わせていない風情だ。
取り敢えず仕事を探し、稼がなければならないと考えた彼女は、歌手として復帰を図るが、簡単に行くはずもない。
そこに、行く先々で様々な男女が絡んで来てのドラマが繰り広げられる。
アメリカという国に住む雑多な人間たち各々が持つ、人生観やら価値観。それらに翻弄されたり、逆に自らが他人を巻き込んだり、捨て鉢になったり。
夢を叶えることの難しさや、日々、直面する逃げられない人生。
主人公であるヒロインは、それなりに懸命だが、所詮、上手く人生を立ち回れるタイプではない。
それがひとり息子にどのような影響を与えるのか。そして、彼女に好意を寄せる人間たちに彼女自身が、どう立ち振る舞うのか。
「いつか聴いた歌」などの懐かしいスタンダード曲が、裏寂びれたヒロインの人生を際立たせていく進行。
まだ若いスコセッシ監督の、さりげないが意表を突くショットに、実力があるが、決して大スターではない俳優陣の起用など、散々、制作されてきたアメリカン・ニュー・シネマ的『自分探し』を別なアングルで綴っていく。
キャストでは、ヒロインを演じるエレン・バースティンの存在感が圧倒的だ。
カントリー歌手であったクリス・クリストファーソンも味があるし、後に同性愛者であるとカミング・アウトする、撮影当時12歳だったジョディ・フォスターのとても女の子には見えない堂々とした演技は、登場シーンは少ないものの瞠目に値する。
特にフォスターは、本作後スコセッシ監督の代表作「タクシー・ドライバー」(1976)で、大スターの仲間入りをしていく。
何てことないドラマながら、これぞアメリカという、人間ドラマが繰り広げられる滋味溢れる佳作。