パリの旅愁 – PARIS BLUES(1961年)

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スタッフ
監督:マーティン・リット
制作:サム・シャウ
脚本:ウォルター・バーンスタイン、J・シャー 他
撮影:クリスチャン・マトラ
音楽:デューク・エリントン

キャスト
ボーエン / ポール・ニューマン
リリアン / ジョアン・ウッドワード
クック / シドニー・ポワチエ
ムーア / ルイ・アームストロング
コニー / ダイアン・キャロル
“ジプシー” / セルジュ・レジアーニ
マリー / バーバラ・ラージ
ベルナール / アンドレ・ルージェ
ニコル / マリー・ヴェルジニ

日本公開: 1962年
製作国: アメリカ ベイカー&ダイアン・プロ作品
配給: 松竹セレクト


あらすじとコメント

ポール・ニューマン。前回は監督としての二作目を扱った。一作目は「レーチェル レーチェル」(1968)という作品で、愛妻のジョアン・ウッドワードのみが出演している。この二人はおしどり夫婦として有名であり、その二人が共演した作品の一本を選んでみた。パリに住むアメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちを描くドラマ。

フランス、パリアメリカ人でトロンボーン奏者のボーエン(ポール・ニューマン)とサックス奏者クック(シドニー・ポワチエ)は、故国での行き詰まり感からパリに移り住み、クラブで演奏をして暮らす日々であった。

ボーエンは、作曲も手掛けているが、中々、上手く行かず鬱憤を溜めこんでいる。そんなところに、彼らの友人でジャズの大スター、ワイルドマン・ムーア(ルイ・アームストロング)が演奏旅行にやって来た。

駅まで出迎えに行ったボーエンは、熱烈な歓迎を受ける彼を見て、複雑な表情になる。そして、ムーアが乗る列車には、アメリカから二週間の休暇旅行でやってきたリリアン(ジョアン・ウッドワード)と黒人女性コニー(ダイアン・キャロル)もいた。フランス語が通じず、困っているリリアンに話しかけるボーエン。突然、リリアンが笑顔を浮かべた。

「ラム・ボーエンね。私、あなたの大ファンなんです」・・・

冬のパリで繰り広げられるアメリカ人たちの人間ドラマ。

アメリカでの閉塞感から逃げるように渡仏した白人トロンボーン奏者。そして、差別を受けて心に傷を負い、やはり逃げるように渡り住んでいる黒人サックス奏者。そこに、シーズン・オフで旅行費が安いからとやって来た白人と黒人の女性二人組。

メインは、この四人が二組のカップルとなり、それぞれの思惑と感情で揺れ動くさまを追うストーリィ。

その他に、ニューマンの恋人でジャズ歌手の女性や、ギターの名手だが麻薬中毒のジプシーが絡み、人間の身勝手さや弱さを綴っていく。

アメリカ人が憧れる、というか、どうにも劣等感を抱いているように感じる『パリ』という場所。

きっと、アメリカよりも価値感が多様で、被差別や自由成熟度が発達していて、芸術家たちには、まさに「パラダイス」なのだろう。

事実、ヘミングウェイや映画監督のジョン・ヒューストン、小説家のスコット・フィッツジェラルドなど、多くのアーティスト系アメリカ人が住んでいた。

しかし、あこがれの地であっても、やはり、芸術家は悩むものだということが強調され、一般女性たちの方がより現実的価値観の持ち主であり、それゆえにすれ違いや軋轢が起きるという進行なのだが、ジャズ・ファンの自分としては、どうにもありきたりな恋愛ドラマよりも、別な視点から見てしまった。

それは、音楽をデューク・江リントンが手掛け、彼の代表作「A列車で行こう」や「ムード・インディゴ」といった楽曲が聞けたり、ルイ・アームストロングが、彼自身以外の役名で登場したり、登場人物のモデル探しをしたりという楽しみ方。

ちなみにアメリカで差別を受けて逃げてきた黒人サックス奏者のポワチエは、テナーの名手で人気絶大であったが、軍隊で受けた差別から麻薬中毒になるレスター・ヤングかなとか、麻薬中毒のジプシーの名ギタリストは、間違いなくジャンゴ・ラインハルトだろうと、ニヤニヤしながら見てしまった。

しかも、その中毒患者役が「冒険者たち」(1967)で、唯一、嫌な役を演じたセルジュ・レジアーニで、口ひげまで生やして、何とも、それなりのポジションながら『落ちぶれ感』を醸しだて印象に残る。

白黒で冬のパリを描いたアメリカ作品としては、成功しているが、自分の才能の追求と限界との葛藤や、対人関係の不器用さといった芸術家気質が理解できないと、身勝手さが際立つ人間の姿にジレンマに陥るかもしれない作品。

余談雑談 2015年9月12日
体温を超える暑さに閉口していたら、今度は秋雨だ、台風だと実に忙しい日常。この週中に起きた台風余波による大雨は関東から東北と甚大な被害を与えた。 まさか、突風や浸水といった深刻な被害は都心では起きなからろうと、多寡を括っていた。ところが、自分