スタッフ
監督:ボー・ヴィデルベルイ
製作:ペール・ベルイルンド
脚本:ボー・ヴィデルベルイ
撮影:オッド・イエル・サエテル
音楽:ビヨルン・J・リンド
キャスト
ベック警視 / カール・グスタフ・リンドシュテット
コルベリ / スヴェン・ヴォルテル
ラーソン / トーマス・ヘルベルイ
ルン / ホーカン・セルネル
ニーマン夫人 / ビルイッタ・ヴァルベルイ
エリクソン / イングヴァル・ヒルドヴァル
マルム警視長 / トルイニー・アンデルベルイ
メランダー / フォルケ・フヨルト
ハルト / アクセル・ヘイクネルト
日本公開: 1978年
製作国: スェーデン スヴェンスク・フィルム作品
配給: ジョイパックフィルム
あらすじとコメント
今回も、1970年代に制作された刑事ドラマをチョイスしてみた。あまり見かけないスェーデン製の作品だが、アクションと奇妙なタッチのドキュメンタリー性が、妙にマッチしている興味深い作品。
スェーデン、ストックホルム。深夜、とある病院に入院中の警部が軍剣で惨殺されるという事件が起きた。すぐさま殺人課のベック(カール・グスタフ・リンドシュテット)が呼ばれ、他の刑事たちも招集された。余りにも惨たらしい現場に、20年も殺人課に勤務するルン(ホーカン・セルネル)も顔をしかめた。
ただちに調査に乗りだすベックたち。何故、警官が惨殺されたのか。彼を知る同僚らに聞き込みを開始するが、妙な答えしか返って来ない。当然、残された家族もキツネにつままれた態である。しかし、あれだけ残忍な手口で殺害されるには、何らかの背景があるに違いない。そう踏んだベックの元に情報がもたらされる。
実は、殺された警部というのは・・・
サスペンスと人間ドラマが、不思議なバランスで進行する刑事ドラマ。
原作はスェーデンの夫婦作家マイ・シューヴァル、レール・ヴァールによる「マルティン・ベック」シリーズの一作。
まったくの未読であるが、どうやら刑事たちの日常がメインの群像劇で、その中で事件が起きていくらしい。
本作もその設定が加味されている。ただ、どうにも馴染みのない国であり、生活習慣もすんなりと入り込める感じでもない。
冒頭でのショッキングな殺人シーンから、刑事それぞれの日常的バックボーンが描かれ、どうにもモタモタする進行。
では、ツマラナイ映画かというと、決してそうではないのだ。そこに本作の独特のスタイルがあるからである。
事件が起き、刑事たちが招集され、セオリー通りに捜査を開始する。当然、そんな刑事たちにも日常の生活があり、そういった「捜査」と「生活」という、公私がある。
かと言って映画としては、それらが、ことごとく何らかの伏線となっているわけでもない。
何とも言えず、微妙な雰囲気である。ある意味、セミ・ドキュメンタリー的進行であるのだが、その作劇が得意なイギリス映画の匂いもない。
手持ちカメラによる微妙な画面の揺れや、完璧に作り込まれたわけでもないカット割、妙に気負った演技ではない役者たちの表情が、どこか刑事という職業の日常を『覗き見』していると感じさせる。
つまり、見て見ぬ振りをするのが大人であると言うものの、実は、その裏腹に野次馬根性があるという、悪趣味な市民目線を刺激するのだ。
そういったこちらの感性を刺激しつつ、非常に意図的に繰りだされる意味深なショット。
そこにボー・ヴェルデルベルイ監督の卓越した審美眼があると感じた。映画は、殺害された警部の過去から、真犯人が浮かび、着実に追いつめて行こうとする警察側を追うという、実に地味な、昔の日本の白黒刑事ドラマのような展開を見せていく。
だが、犯人の顔などを事前に一切、写さず、どのような人物なのかをこちらに教えないという勿体ぶった作劇。
それでいて、クライマックスは、CGや合成を一切使わない、迫力あるアクション・シーンへと繋げていく。
このあたりのメリハリも監督の才気と意気込みを感じる。しかも、それらが唐突ではなく、あくまで、それまでの進行の延長線上であるゆえに際立つのだ。
警察組織の腐敗もあり、それが、主要キャストを含む警察全体の無能さを露呈させて行く。
スェーデンというと、ポルノ映画かイングルマル・ベルイマン監督作品ぐらいしかイメージが付かなかった時代、この映画に出会って、ある種のショックを受けた。
通俗的な内容でありながら、単純な刑事ドラマとは違い、また、街並や演出法など、見慣れぬゆえに、胸が躍った佳作。