スタッフ
監督:スチュワート・ローゼンバーグ
製作:スチュワート・ローゼンバーグ
脚本:トーマス・リックマン
撮影:デヴィッド・ウォルシュ
音楽:チャールス・フォックス
キャスト
マーティン / ウォルター・マッソー
ラーセン / ブルース・ダーン
ラリモア / ルー・ゴセット
カメレロ / アルバート・ポールセン
スタイナー部長 / アンソニー・ザーブ
パパス / ヴァル・エイヴェリー
ケイ / キャシー・リー・クロスビー
モニカ / ジョアンナ・キャシディ
マロニー / クリフトン・ジェームス
日本公開: 1976年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
前回の「刑事マルティン・ベック」の原作は、ベール・ヴァールとマイ・シューヴァルによるシリーズもの。その中の一本を、アメリカに置換して映画化した作品。寒い国、スエーデンが舞台である原作の持つ独特の雰囲気を、どう描くか。
アメリカ、サンフランシスコ。ある晩、バス内で乱射事件が発生。乗客、乗務員8人が射殺された。重傷を負いながらも、生き残ったのは老人ただひとり。
すぐさま殺人課のヴェテランであるマーティン主任刑事(ウォルター・マッソー)ら、警察がやって来た。あまりの惨状に眼をそむけたくなる中、射殺された乗客の中に、日頃コンビを組んでいる刑事を発見するマーティン。
何故、彼がバスに乗っていたのか。彼は一週間前から仮病で仕事を休んでいたのだ。相棒である自分に何も告げなかったことに不信感を抱きつつ、新たなコンビとしてラーセン(ブルース・ダーン)と組むことを命じられる。
犯人は一体誰で、何が目的だったのか。何となくウマが合わない相棒と組まされたマーティンは一歩、一歩、捜査に乗りだすが・・・
妙な倦怠感と嫌悪感を伴う刑事ドラマ。
コンビを組んでいた相棒に死なれたヴェテラン刑事。彼の不可思議な行動の裏に、何か、自分に非があるのではないかと猜疑心を持ちながら、新たな相棒と組まされる。主役はこの二人だ。
映画は、一人の中年男を追尾する刑事が、素知らぬ顔で一緒にバスに乗り込み、直後、彼らより前に乗車していて、最後部の座席に坐っていた男が静かにマシンガンを組み立てる様を描きだす。そして、その行動に気付いた中年男が、立ちあがり、制止するも聞かず、銃口が火を吹き、全員が乱射に巻込まれるという冒頭。
つまり、観客だけが、警察陣よりも先に、多少の情報が与えられるのだ。ただし、以降は、主人公らと同様、事件の背景をコツコツと追って行く展開に同調することになる。
原作は未読だが、かなり忠実なのだろうと推察される進行。ある意味、ありきたりの地味な展開の刑事ドラマの典型とも呼べよう。
ただし、途中に銃撃戦等のアクションは入るし、男女共に同性愛者がでてきて、その人間が鍵を握っているといった、当時の社会風俗をも取り込んでいる。
ド派手なアクションなり、意表を突くどんでん返しなどはないが、興味深いと感じたのは、サンフランシスコの街並や、刑事を含めた登場人物たちのさり気ない中に漂う、その雰囲気である。
ローゼンバーグは、原作の舞台がストックホルムであることを完全に意識した上で、サンフランシスコに置換していると強く感じた。
つまり、原作の持つ、あくまでリアルな刑事ドラマであることを前面に押しだし、意外なストーリィ性や、スーパーマン的刑事のヒロイズムに満ちた活躍もなく、サラリーマンでもある等身大の刑事の日常や、その刑事ら自身が持つ人間的価値観を点描していく。
その過程で、決して的外れではないが、どうでもいい余計な捜査まで実行してしまうという、リアリティある<展開をほぼ全面ロケで追って行くのだ。
そんな中で、印象的な点を拾ってみると、主人公の家庭での立場や、彼の音楽の嗜好で、主人公がどのようなタイプの人間であるかを浮かび上がらせ、ゆえに相棒の若手刑事のトッポさが気に入らないという描写などが挙げられよう。だが、そのコンビぶりは白眉である。
内容も地味だし、キャストも地味ということで、本作は日本公開が3年も見送られていた。
だが、同じくウォルター・マッソー主演のB級映画の佳作「サブウェイ・パニック」(1974)がスマッシュ・ヒットしたことにより、陽の目を見たのだろう。
ゆえにタイトルも「マシンガン・パニック」という柳の下のドジョウを狙ったに違いない。主演のマッソーが同じような刑事役であり、緊迫した展開と、どこかトボケたマッソーの演技を期待して見た人間は、かなりの肩透かしを喰らったに違いない。かく言う自分もそのひとりであった。
妙に地味な作品であるが、そこにこそ妙味があるともいえよう。