スタッフ
監督:リンゼイ・アンダーソン
製作:マイケル・メドウィン、L・アンダーソン
脚本:デヴィッド・シャーウィン、ジョン・ホレット
撮影:ミロスラウ・オンドリチェック
音楽:マーク・ウィルキンソン
キャスト
トラヴィス / マルコム・マクダウェル
ナイトリー / デヴィッド・ウッド
ウォレス / リチャード・ワーウィック
カフェの娘 / クリスティン・ヌーナン
ラウンツリー / ロバート・スワン
フィリップス / ルパート・ウェブスター
校長 / ピーター・ジェフリー
デンソン / ヒュー・トーマス
ケンプ夫人 / マリー・マクラウド
日本公開: 1969年
製作国: イギリス メモリアル・エンタープライズ作品
配給: パラマウント
あらすじとコメント
前回のコンビ、リンゼイ・アンダーソンとマルコム・マクダウェル。その両名が、世に認知された作品にしてみた。全寮制の閉鎖的な男子寄宿学校で起きる、おぞましい世界を描いた秀作。
イギリスとある全寮制の中学高等学校。9月になり、新年度が始まった。
右も左も分からぬ中学の新入生から、最高学年の高校生らが参集してきた。その中で、鼻からマフラーを巻き、頑なに外そうとしない、反抗的な態度のトラヴィス(マルカム・マクダウェル)がいた。
彼は休み中にひげを伸ばし、中途半端な年齢ながら、大人へのステップをこじ開けようとしていたのだった。しかし、その学校は、規律が厳しく、まるで19世紀の呪縛に掛かっているような場所。学寮毎に「監督官」という最上級性が数名おり、鞭によって、生徒たちを威圧し、厳しく寮生活を管理していた。
監督生のひとり、ラウントリー(ロバート・スワン)は、ことのほか、トラヴィスの態度に業を煮やしていた。それでも、一々、反抗的な態度を取り続けるトラヴィス。
そんな彼に同調する仲間のウォーレスとナイトリーらは、常に監督生はおろか、教師たちをもバカにし続け・・・
少年から大人へと変わって行く複雑な世代の厭世的で、持って行き場のない鬱憤を描く秀作。
男子のみの全寮制の学校。彼らにとっては、学内が全世界であり、成長と共に昂ぶる異性やセックスへの興味を発散する場所は一切ない。
自慰行為ですら、見つかるといじめの対象になるような世界。それでいて、高学年の監督生は若く魅力的な下級生をまるで「稚児」のように服従させ、自分の下僕として生活の面倒を見させる。
そこには、完全に同性愛の匂いが立ち昇る。気色悪いが、性に目覚めて行く世代としては、他に晴らしようがないいびつで閉鎖的な世界。
新学期早々に行われるズボンを下ろしての性病検査に始まり、体罰の一環として行われる真冬の冷水シャワー刑など、アンダーソン監督は、その同性愛的世界を強調するために、少年から青年と変化して行く男子たちの全裸シーンを何度となく挿入していく。
だが、主人公は街へ外出した時、バイク屋から盗んだオートバイで仲間と疾走し、偶然立ち寄ったカフェのウェイトレスと関係を持ち、自分だけが大人になったと薄ら笑いを浮かべる。
そして、ウェイトレスも閉塞的な世間に、出口のない圧迫感を感じていたことから、主人公グループに同調して行く。
本作は五年程前にイギリスで巻き起こった「怒れる若者たち」の派生形である。これは他のヨーロッパ諸国やアメリカと違う、イギリスという国の特徴が凝縮された作品の一本とも言えよう。
厳然とした階級制度があり、歴史と威厳を重んじる国民性。しかし、底辺にあるのはその社会や歴史に対して、何ら打破できない人々の複雑な感情。
本作の興味深いところは、以前に制作された、「怒れる若者たち」を描いた映画のほとんどが下層階級の人間の鬱憤の爆発であったのに対し、中産以上の裕福な階級の子息たちが集う寄宿学校を舞台にしていること。
つまり、この手の寄宿制学校に通う子弟は、以後、有名大学への進学なり、公務職への就職などエリートとして教育を受ける人間らである。
その中の反抗分子として描かれる主人公たち。自分らを『十字軍』と呼び、大人になり切れない世代ゆえの強迫観念を持ち続けながら、彼らに同調するのは下層階級の若き女性である。
そのあたりにも、複雑なイギリスという国の状況が見て取れよう。そんな彼らが最後に取る行動は、青春の暴走と呼ぶにはあまりにも無謀である。
当時、無名の俳優や実際の学生を起用して描くアンダーソン選出はカラーと白黒画面が複雑に混合されて進行させながら、八つに章立てられた小見出しが付く几帳面さを併用する。
どこか、ドキュメンタリー的でもあり、それでいて鳥肌の立つようなファンタジーさも加味される。
取っつきにくい映画ではあるが、難しい世代の心情を見事に描いた作品である。