スタッフ
監督:ビリー・ワイルダー
製作:ビリー・ワイルダー
脚本:B・ワイルダー、I・A・L・ダイヤモンド
撮影:ウイリアム・C・メラー
音楽:フランツ・ワックスマン
キャスト
フラナガン / ゲーリー・クーパー
アリアーヌ / オードリー・ヘップバーン
シャヴァス / モーリス・シュヴァリエ
X氏 / ジョン・マッギーヴァー
ミッシェル / ヴァン・ドード
マダムX / リセ・ボルダン
犬連れの婦人 / オルガ・ヴァレリー
散水車に濡れる男 / マルク・オーリアン
散水車に濡れる女 / ベラ・ボッカドーロ
日本公開: 1957年
製作国: アメリカ アライド・アーチスツ作品
配給: 松竹 セレクト映画
あらすじとコメント
前回が老嬢と少年のロマンス。今回は逆パターンで、映画の王道的な設定作品にしてみた。年の離れたカップルのロマンスを飛びっきり、お洒落に描いた名編。
フランス、パリ私立探偵のシャヴァス(モーリス・シュヴァリエ)は、リッツホテルのスイート・ルームで密会中の不倫カップルの調査をしていた。相手の男はアメリカの富豪で、稀代のプレイボーイであるフラナガン(ゲーリー・クーパー)だ。
証拠写真を撮り終え、早朝に事務所兼自宅に帰宅した。出迎えたのは、音楽院に通うひとり娘のアリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)。彼女は、父親の調査報告書をまるで、小説でも読むかのように愉しむのが趣味でもある乙女。すぐさま父親に首尾を尋くアリアーヌ。困り顔をしながらも、少しだけ話す父。
そこに、依頼主である亭主がやって来た。証拠写真を見せ、妻の浮気を確信した亭主は、怒り心頭に達し、拳銃を取りだすと相手のフラナガンを射殺すると言いだした。一応は止める素振りを見せるシャアヴァスであったが、因果応報でもあると。
その話を盗み聞きしていたアリアーヌは、これは一大事だとばかりに・・・
洒落が利いたロマンティック・コメディの良品。
現実など何も知らぬ小娘が、世界各国で浮名を流すプレイボーイの危機を救ったことから巻き起こる一日半の出来事を描いて行く。使い古された設定ではあるが、そこは流石のビリー・ワイルダーである。
思わず微笑んでしまう筋運び、絶妙な小道具の使い方。特に四人組のジプシー楽団の扱いなど、台詞等一切なくても、彼らが演奏する「ファッシネーション」のリズムが流れてくるだけで、ほほ笑んでしまう。
それに、クーパーが宿泊するホテルの廊下には、ルイ・ヴィトンの大型トランクが並び、部屋に運んで来させるのはモエ・シャンドンのシャンパン。
それに彼を救ったヘップバーンに対し、「もう少し早ければ、カルティエで、何か買ってあげたのに」という台詞など、彼がいかなるポジションの人間かとさり気なくこちらに伝えてくる。
しかし、ふと疑問だったのは、公開当時、日本の観客が、それらの品々や台詞が、どれほど価値のあるものだと理解出来たのだろうかという点。
昨今の日本では、ほぼ全女性が知っているし、それだけを見てもクーパーについて行きかねないとも感じる。
まあ、そもそも当時はパリに行くことすら、夢のまた夢に違いなかっただろうから、パリが舞台というだけで『夢のロマンス映画』と感じたことだろう。
ただ、そのプレイボーイを演じるクーパーは、些か、歳を取り過ぎているとも感じるが、それでも絶妙なる演技でカヴァーしている。ヘップバーンも背伸びしたい無垢な小娘を伸び伸びと演じているのも胸がワクワクする。
そんな主要キャストの中では、ヘップバーンの父親で私立探偵役のモーリス・シュヴァリエが絶品。
唯一、彼だけがフランス人であり、訛りのひどい英語で軽妙に演じていて秀逸。しかも、シュヴァリエ自身が若かりしき頃は本作のクーパー以上のプレイボーイだったというのだから恐れ入る。
そういった「くすぐり」を知って見直すと、細部に至るまでワイルダーのこだわりを感じざるを得ない。
しかも、監督にしては珍しく舞台劇の映画化ではなく、ほぼオリジナル。キザで徹底的にお洒落。現代でも充分通用する設定にして、世界中の女性たちがうっとり本作に夢を見ることだろう。
歳の離れた美男美女のロマンス。実生活では起こり得ないと誰もがため息をつくだろうが、それでも、やはりこの手の映画が製作されなくなったのは、ホンモノのスターなり、監督がいなくなったからだろうか。
だとすると、切ない。というよりも、娘を持つ親であれば、本作のラストでは女性とは違う心持になり、観終わった後に複雑な心情になるだろう。
やはり、男と女は根本的に観る夢が違うのだろうとも教えてくれる逸品。