スタッフ
監督:ハワード・ホークス
製作:ハワード・ホークス
脚本:ボーデン・チェイス、チャールス・シニー
撮影:ラッセル・ハーラン
音楽:デミトリー・ティオムキン
キャスト
ダンソン / ジョン・ウェイン
ガース / モンゴメリー・クリフト
テス / ジョーン・ドリュー
グルート / ウォルター・ブレナン
チェリー / ジョン・アイアランド
フェン / コリン・グレイ
バスター / ノア・ベリー Jr
タオ / チーフ・ヨーラティ
メルヴィル / ハリー・ケリー Jr
日本公開: 1952年
製作国: アメリカ モントレー・プロ作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
西部劇で描かれる男の挽歌。そこから繋がった。己の信念で人生を全うしようとする男を描く、前回の「昼下がりの決斗」(1962)同様、これもウエスタンの秀作。
アメリカ、テキサスカリフォルニアに向かう牛の搬送から離脱したダンソン(ジョン・ウェイン)と仲間のグルート(ウォルター・ブレナン)は、テキサスの広大な土地で自分の牧場を持つことを決心した。
しかし、別れた一行はその直後、先住民に襲われ、全滅。すると、その一行からたった一人の少年ガースが、命からがら逃げて来た。そこに今度はメキシコ男二人が来て、出て行けと脅した。「今日からここは俺の土地だ」と言うダンソンに銃を抜いたひとりは即座に射殺された。
そして15年後。テキサスで一番の牧場主になったダンソンだが、南北戦争で敗戦を喫し商売はまったく立ち行かなくなっていた。成長したガース(モンゴメリー・クリフト)も戦争から戻ってきたが、実情は劣悪のまま。
近隣の牧場主たちも同様で、このままでは、テキサス一帯の牧場が壊滅してしまうと案じたダンソンは・・・
力づくで牧場、そして人生も開拓してきた男の挽歌を描く秀作。
正に力づくで強引に自分の夢を叶える開拓時代の男。滅法腕が強く、意にそぐわない人間は平気で射殺するタイプでもある。ここが良いと決めたら、今日から自分の土地。
そうやってを王国を築いた。しかし、敗軍に加担したため、経営は火の車。すると今度は仲間の迷い牛さへも自分の牛として烙印を押そうとする。
そうやってカリスマ性を保って来て、権力こそが正義の価値観という男。
感情移入しずらいタイプにして、本来であれば悪役だ。
そんな男が近隣の牛一万頭を引き連れ、遥か1600キロも離れたミズーリまで売り捌きに行こうとするスト─リィだ。
当然、途中では野盗や先住民の襲撃が待ち受ける。それにあまりにも強引な主人公の言動から造反者もでてくる。それでも服従を強要する。
遂に、そんな主人公に楯をつくのが、主人公と一緒に育った、か細そうな青年。
本作のメインテーマは『融合』と『理解』である。
時代の流れに逆らって、力こそが正義という老境にさしかかった男と、他人でありながらも『家族』として認知する青年と古い相棒。
その三者三様の価値観がぶつかり合い、やがて時代の流れとともに優劣が変化して行く。当然、そんな青年を支持する仲間も現れ、今度は新たなる指導者像が浮かび上がる。
世代交代である。逆に、それにより、自分こそ正義と信じ込んでいる主人公は、完全に悪役という立場で描かれ、青年を殺そうとし始める。
それを回避するべく、力及ばずとも尽力するのが後半から登場する女性。まさに他人同士の『仲間』から『家族』へと変貌していく過程へと進む。
これこそがアメリカが培い、発展してきた真の姿だと言わんばかりに。
だが、本作は意味深長である。それを象徴するのが主人公の牧場の「烙印」。タイトルにもあるように赤い河を意味する象形文字のような「三本の線」の左に自分の頭文字「D」。最終的には川の文字の右側にも別なイニシャルが入るのだが、そこには両者を隔てる『川』が流れ続けている。
ここに理解しあえるが、決して交わらない流れが存在する。
だが、主役を演じたジョン・ウェインは、本作でのその『烙印』をとても気に入り、以後の西部劇主演作には自分のベルトのバックルは、このマークを使用している。
ウェインがそれほど気に入った作品でもある証左。悪役でもありながら、それは単に、それでしか生きられなかった男の不器用さと武骨さを象徴しているからだろうか。
計算し作られた映画とは違う作りだが、そこにハワード・ホークス監督の真骨頂を嗅ぎ取れる秀作である。