スタッフ
監督:ジャン・ルノワール
製作:アルベルト・ピンコビッチ、フランク・ロルメール
脚本:シャルル・スパーク、ジャン・ルノワール
撮影:クリスチャン・マトラ
音楽:ジョセフ・コズマ
キャスト
マレシャル中尉 / ジャン・ギャバン
エルザ / ディタ・バルロ
ド・ボアルデュー大尉 / ピエール・フレネー
フォン・ラウフェンシュタイン / エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ローゼンタール大尉 / マルセル・ダリオ
カルティエ / ジュリアン・カレット
ラティス / キャレット
アーサー軍曹 / ヴェルナー・フローリアン
錠前屋 / ジョルジュ・ペクレ
日本公開: 1949年
製作国: フランス RAC作品
配給: 三映社
あらすじとコメント
戦時下の雪山脱出行で連想した。フランスの名匠ジャン・ルノワールが残した作品で、映画史の流れから外すことのできない、輝く名編。
フランス、某航空隊基地第一次大戦中の1916年、提出された写真の信憑性に疑問が残るとして、自分の眼で確認したいと貴族のド・ボアルデュー大尉(ピエール・フレネー)がやってきた。
大尉は飛行士マレシャル(ジャン・ギャバン)と飛び立ったが、ドイツの名パイロットのフォン・ラウフェンシュタイン(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)に、撃墜されてしまう。マレシャルは腕を負傷するが命に別条はなく、二名揃って捕虜となる。
撃墜したラウフェンシュタインは誇り高い男で、ド・ボアルデューが貴族だと知ると、自分も同じであると告げ、最大の歓待を行った。
その後、マレシャルらは捕虜収容所に送られた。そこで、ユダヤ人で成り上がりの金持ちローゼンタール大尉(マルセル・ダリオ)らと同室になる。当然、捕虜の義務は脱走である。しかし、それは成功しても、また戦場に復帰し、命をかけることになるのだ。
それでも、先人たちは、部屋からトンネルを掘り進めていた。新参者の二人も、当然、協力するが、完成直前になり・・・
戦争におけるヒューマニズムを謳い上げる秀作の秀作。
戦前は技師、貴族、実業家と職種は様々な男たちが、収容所で同じ釜の飯を喰う間柄になる。しかも、捕虜という立場であり、通常では、絶対に相まみえることもない男たちである。
彼らは一致団結し、脱走を試みるが、実行直前、別な収容所送りとなる。しかし、そこでもメインの捕虜側登場人物の三人は一緒になる。
ありきたりな設定だと思う人も多いに違いない。だが、本作こそが、それらの「いつかみた」的作品の走りである。
しかも、移送先の収容所所長は、主人公らを撃墜したが、後に自分が撃墜されて脊髄を痛めた、誇り高き貴族の名パイロットという展開。
当然、所長は自分と同じポジションである貴族の捕虜に特別な眼を向ける。その二名の存在が本作の白眉。
市井の人間と成り上がりのユダヤ人には、後半別な展開が待ち受けるが、中盤での、敵同士とはいえ、貴族同士という二名のシーンは見事。お互いに敬意を払い、戦前を懐かしむ。
消えゆく階級の挽歌として秀逸であり、特に、ドイツの将校を演じるエリッヒ・フォン・シュトロハイムの存在感は群を抜いている。
無声映画時代からドイツ映画界の鬼才であり、秀作を輩出してきた御仁で、ビリー・ワイルダーの身の毛もよだつ傑作「サンセット大通り」(1950)でも、忘れ去れた大女優を知り尽くす執事役で、抑えた演技ながら圧倒的存在感を見せている。
本作は、終盤、脱走に成功した主人公らが辿る決死の脱出行から、やっと女性が登場してきて、また、別な展開を見せる。
メインの登場人物四人が辿る運命に人生のシニカルさを滲ませ、敵同士といえども人間として理解し合えるというヒューマニズムを打ちだす。
珍しいのは、完全なる悪役が登場しないことである。つまり、主人公らを生かすための解りやすい相関図など存在せず、誰もが優しさを持っている。
それを良く表している台詞がでてくる。「国境など、人間が勝手に引いた線であり、自然には関係ないことだ」。
製作されたのは、第二次大戦前であり、日本では影響力を増していた軍部判断で、このようなヒューマニズムを謳う戦争映画など言語道断ということで、遂に劇場公開されなかった。
確かに今見ると鷹揚な作品と感じるだろうが、それでもリアルさの中にファンタジー性も浮かび上がらせ、燦然と輝きを放つ歴史的名作である。