スタッフ
監督:ロイ・ベイカー
製作:ジュリアン・ウィントル
脚本:ハワード・クルース
撮影:エリック・クロス
音楽:ヒューバート・クリフォード
キャスト
フォン・ヴェラ大尉 / ハーディー・クリューガー
陸軍側調査官 / コリン・ゴードン
空軍側調査官 / マイケル・グッドリフ
空軍情報将校 / テレンス・アレキサンダー
グライスデール収容所所長 / ジャック・ギリム
同 収容所武官 / アンドリュー・フォールズ
ハックナル基地当直将校 / アレック・マッコーウェン
ドイツ軍捕虜 / ハリー・ロッカート
同 / ロバート・クルードソン
日本公開: 1964年
製作国: イギリス アーサー・ランク作品
配給: 日本RKO
あらすじとコメント
クライマックスで、雪原を行く『脱走モノ』から連想した。捕虜の脱走といえば、「大脱走」(1963)を筆頭に、数多く作られた題材であるが、殆どは連合国側の捕虜の話だ。それらとは違い、逆からの視点で描いた実話の映画化作品。
イギリス、南東部ケント州。1940年9月のこと。ドイツ空軍のフォン・ヴェラ大尉(ハーディー・クリューガー)の戦闘機が撃墜された。
大尉は駆け付けた英兵に捕まると、直ちに捕虜収容所に移送されることを要求したが、イギリス情報部側は、即座には応じなかった。大尉の持つ情報を聞きだそうと画策したからである。
陸軍、空軍の調査官を動員して、尋問を開始するが、不敵に笑うだけで、一切の質問に答えないフォン・ヴェラ。
だが、空軍の調査官(マイケル・グッドリフ)だけは、何故か彼がドイツでプロバガンダに利用されたという情報を知っていて、揺さぶりにかける。動揺するヴェラだが、今度は不敵に言い放った。
「賭けをしないか。半年以内に、絶対に俺は脱走してみせる」・・・
脱走に命を賭ける将校を描く、手堅くまとまった戦争もの。
ドイツ空軍のエース・パイロット。若さがあり、当然、突っ張っていて生意気でもあるが、クール。しかも、不屈の精神で何度失敗しても、脱走を試みる。
まるで、「大脱走」の主役スティーヴ・マックィーンのキャラにそっくりである。
というよりも、正に本作の主人公がマックィーンのモデルだと強く感じた。
ただし、本作が劇場公開されたのは、「大脱走」の後なので、こちらがマックィーンをパクったと思った観客も、当時、多かったに違いない。
あの壮大なスケールと豪華キャストで押して来る娯楽戦争巨編とは、まったく違うし、キャストもスケールも地味。
だが、「大脱走」のヒットがあったお陰で、こちらが公開されたとは、ある意味、喜ばしいとも感じる。
でなければ、幻の作品になっていたに違いないから。
兎に角、冒頭から本作の主人公は、マックィーンを彷彿とさせる。どちらかというと頭脳派ではなく、動物的「勘」が優先し、その場しのぎ的脱走方法を試みるのだ。それでも、楽天的というか、懲りない。
当時のイギリス映画によく登場した『敵ながら天晴れ』という描き方である。
しかも実話が一応のベースとなると、ハリウッド映画のように、平気で設定やラストを都合良く変えるという手口も用いない。別な意味でも天晴れである。
登場してくるイギリス側の人間も、切れ者というよりも、どこか牧歌的な人物ばかり。
イギリスらしい自虐的描き方。しかも、本作では、同じくイギリス製戦争映画で、ドイツ軍占領下のクレタ島で、敵の将軍を拉致し、敵陣突破する佳作「将軍月光に消ゆ」(1956)同様に、本当に『敵ながら天晴れ』という描き方にして、しかも、一応の戦争映画なのに死者が一人もでないのである。
この点も、ある意味で異色。更には、島国であるイギリスの収容所にいるのだ。考えてみれば、協力者なしには、脱走方法など、そんなにある訳がない。
となると、同じくイギリス製脱走モノの傑作、「謎の要人 悠々逃亡!」(1960)のような、太っちょで偏屈な物理学者が、体力でなく、知力で勝負するような、奇抜な脱走も通用しない。
その上、実話である。一番最初は、何とも無鉄砲な方法で脱走を試み、捕まると、次は、突拍子もないアイディアを企てる。
かなり「行き当たり場当たり的」だが、そこに多少のアクションや、いかにもイギリス映画らしい細かいサスペンスを絡めてくる。
そのメリハリが興味深い。低予算なので、派手なシーンはなく、あくまで地味に進行するのだが、この時代特有のゆったりとしたリズム感が好きな観客には、受け入れられるであろうと信じる。
監督は、本作の翌年、地味ながらも心に沁みる秀作「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」(1958)を輩出するロイ・ベイカー。手堅くまとまっているし、あくまでも敵軍将校を主役に最後まで撮り上げる。
そうは描いても、ラストはイギリス軍の勝利と相成るのが通常であるが、本作はそうはいかない。
再三いうが、あくまでも実話が元であるからだ。
では、主人公は脱走に成功するのか。これもまた実話通りで、設定が『1940年』という時代が重要なカギである。その時代でなくしては、あり得ないのだから。
だが、ラストに流れるテロップが非常にシニカルである。奇妙な落とし所だとも感じたが、これもまた、実話なのだ。
流石のイギリス映画といえようか。