余談雑談 2014年12月6日

もう師走だ。先立て、先月初めに出版されたガイド本のギャラが決まった。想定してた金額より少なかったのは、売れて増刷される見込みもなく、数多く反省点もあるので、上司のお情けによる適度な上乗せがなかったのも当然だろう。

さて、一応のお祝いに高い割烹料理屋に飲みに行くかとも思ったが、それじゃいつもと同じだ。というか、臨時収入的なものが入ると毎回、少し贅沢にと思って、結局、いつもの酒場で、もう一杯と肴を一品追加的な行為で、金が底を付く。

なので今回は、旅に出ることに決めた。何せ、今年は23区から一度も出ていない。しかも、下町の地元から一番遠いのが西側で渋谷。南は、新橋だ。まるで、昔読んだ池波正太郎の少年時代のような市井の人間の移動距離である。

さてさて、どこに行くかを真剣に考えた。旅慣れた沖縄か、それとも高校の修学旅行以来、一度も足を踏み入れていない北海道。いやいや、中学の修学旅行で行きそこなった奈良、京都。こういう瞬間が、既に楽しい。

で、結局、決めたのが、通常であれば一生行かないであろう『山陰』。その地域で、大好きな『鄙びた温泉街』を探した。

出来れば、千名収容の大型温泉ホテルや、和モダンな格好付けただけで高い旅館がなく、本当に、成瀬巳喜男か豊田四郎が描いた昭和そのものが残る、ひっそりとした温泉街。

ある意味、東京の下町に生まれ住み続け、幼少時代とどれほど変わったかを、嫌でも見せつけられてきた自分としては、変えないことが、どれほど難しいかを知っているが、だからこそ、欧米的と言いながら、実はアメリカの合理主義に感化された価値観が跋扈するのが嫌いなのだ。

人口が減り続け、老人大国になるのに今でも都心は、誰が住むのか的高層マンション、ガラス張りの大型商業ビルばかり建造している。

そんな場所から離れたい。しかも、忙しく観光せず、ひたすら何もしない。それこそ、時間に追われ、ストレスを溜め込まされる現代への、最高の復讐であり、最後の贅沢かもしれぬ。尤も自分は、とうの昔にそのスパイラルから降りているが。

それでも、ないものねだりな自分に、期待が持てる場所を発見した。島根県にある「温泉津温泉」。地域活性化には好都合だが、個人的には苦手な『世界文化遺産』に認定された「石見銀山地域」内ではあるが、写真で見る限り、心動かされた。

で、ものはついで、だ。一度は経験したい、北九州の門司で『角打ち』と呼ばれる、こちらでいう酒場ではなく、普通の酒屋での立飲み。門司となると、この時期「ふぐ」もある。

よし、冬の日本海側で、間違いなく旨い魚三昧のお大尽旅行にして、ギャラを全部使い果たそう。

そうなると、せっかちな下町人の血が騒ぐ。再来週に三泊で出掛けるとするか。

これで、今年も思い残すことはあるまい。どうせ、年末はいつもカツカツな生活だ。白内障など、嫌なこともあったが、良い年であったと、きれいサッパリ忘れるか。

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