スタッフ
監督: ゲザ・ラドヴァニー
製作: スージー・ブリム
脚本: ゲザ・ラドヴァニー
撮影: アンリ・アルカン
音楽: レオ・フェレー
キャスト
フールビュー / リノ・ヴァンチュラ
バルバラ / エヴァ・バルトーク
セルジュ / ハンネス・メッセマー
ブランジェ / ゲルト・フレーベ
マダム・セザール / スージー・プリム
コペッキー / ローラン・デルジェフ
アルマン巡査 / ギィ・トレジャン
モーリス / ギル・ヴィダル
リュセット / ジネット・ピジョン
日本公開: 1960年
製作国: フランス エステラ・フィルム作品
配給: NCC
あらすじとコメント
今回も「脱獄モノ」。だが、アメリカ製とは違う独特のタッチが妙に郷愁を誘う、男たちの挽歌が切ない小品。
フランス南東部、とある港町。フールビュー(リノ・ヴァンチュラ)、コペッキー、セルジュ(ハンネス・メッセマー)の三人が刑務所を脱獄した。
しかし、看守に撃たれたコペッキーは負傷。それでも彼らは、羊を搬送中のトラックを盗み、運転手を縛り上げると町外れにある写真館に立寄った。そこは強欲で老獪なブランシェ(ゲルト・フレーベ)が営む店であったが、目的は彼ではなく、彼の愛人であるバルバラ(エヴァ・バルトーク)だ。
彼女は、コペッキーの恋人で、逮捕直前、大金を託しておいたのだった。外出したブランシェを認めると、忍び込むセルジュ。
一方、フールビューとコペッキーは奪ったトラックで、ひと足先に脱出の手はずを頼んでおいた港のカフェを訪れるが・・・
脱獄を試みる三人組を描くフィルム・ノワール作。
主役は脱獄囚たちだが、登場人物の殆んどが悪人という作品でもある。
冒頭、脱獄とトラック強奪のシーンは、いとも簡単に飛ばされ、いきなり写真館の場面となる。そこで、描かれるのは強欲で若い愛人を恩着せがましく、何かと縛り付けている老人のいびつさ。しかし、老人以上に、したたかなのは、実は、若い女の方であるという展開。
そんなこととは露知らず、負傷した恋人の代わりに同房だった殺人犯が、彼女に託してある金と彼女自身も一緒に逃げると言うだろうと思い、近付いていく。
しかし、彼女はクールに「ノー」と答える。しかも、金は老人が取り上げたと平然と言う始末。だが、そのまま引き下がれば、海外逃亡の資金がない。
一方、主人公であるヴァンチュラは、やはり裏社会に精通するカフェの女主人を訪ね、手はずを整えようとする。その女主人は、気弱な男を顎で使い、どこか、ふてぶてしい。
東欧のハンガリー出身のゲザ・ラドヴァニー演出は、かなり大雑把であり、話が多少混乱するほど端折る展開を見せていく。
しかし、その大雑把さ加減が、妙なサスペンスや何を考えているのか解らない女たちの複雑そうだが、底冷えのする身上をなぞらせて興味深い。
物語は、写真館とカフェに別れた脱獄囚たちに、次々と起きてくるサスペンスフルな出来事が織り成すドラマを同時進行で描いていく。
写真館に立寄った殺人犯は、同房だった若い男が、恋人との馴れ初めから、最初の情事に至るまでを克明に聞かされていた。
しかし、実際に対面した女性は自分がイメージしていた女性像とは、かけ離れたタイプであり、しかも、かなりしたたか。嫉妬に狂う老人の他に、金目当てに若い女性との結婚を間近に控えた男とも何やら因縁がありそうという女である。
一方、「巴里祭」当日でもあり、港のカフェはパーティー客でごった返し始める。更に、そこに女主人の気弱そうな甥が登場してくる。しかし、その甥は、何と警察官である。
当然、三人が脱後したことはわかっており、警察は非常線を敷いて行方を追っている。そこに持って来ての警察官の甥の登場。
そこでも当然サスペンスが生まれてくるという寸法である。
別々な行動を取っているがゆえに上手く連絡が取れない三人。国外逃亡用の漁船の出航時刻は迫ってくる。
フランス映画であるのだが、監督がハンガリー出身。出演者も「大脱走」(1963)で収容所長役を演じたハンネス・メッセマーに、やはりドイツ軍人役が多いゲルト・フレーベといったドイツ勢、更にハンガリー出身の女優エヴァ・ヴァルトークという東欧系が参集したため、通常のフランス映画らしからぬ、妙な異国情緒が漂う。
それぞれが迎える別々なラストで、気だるいが、クールさを伴うアンニュイ感に不思議な感覚に陥った。