スタッフ
監督: フィリップ・ド・ブロカ
製作: フィリップ・ド・ブロカ
脚本: ダニエル・ブーランジェ、F・D・ブロカ
撮影: ピエール・ロム
音楽: ジョルジュ・ドルリュー
キャスト
ブランピック / アラン・ベイツ
ゼラニュウム将軍 / ピエール・ブラッスール
コクリコ / ジュヌヴィエーヴ・ビジョルト
公爵 / ジャン・クロード・ブリアリ
ラドゥシェス / フランソワーズ・クリストフ
ヒナギク正僧 / ジュリアン・グィマール
マダム・エヴァ / ミリュリーヌ・プレール
アレキサンダー大佐 / アドルフォ・チェリ
マルセル氏 / ミッシェル・セロー
日本公開: 1967年
製作国: フランス フィルデブロク・フィルム作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
前回の「いとこ同志」で、掴み所のない自堕落なパリジャンを演じたジャン・クロード・ブリアリ。そんな彼が、まったく違う一面を見せる隠れたる秀作。
フランス、北部のとある小さな町。1918年、第一次大戦も終盤を迎えていた頃。町を占領するドイツ軍は、間近に迫った連合軍のため撤退準備を開始した。
ただ、退くだけは面白くないと司令官は町の中央広場に作ったコンクリート製のトーチカに爆薬を積み、時計台の真夜中の合図と共に爆発するようセットした。そのことをレジスタンスの床屋の親父が連合軍に知らせようとしたが、途中で見つかり射殺されてしまう。
連合軍司令官は、中途半端な情報を元に、すぐさまフランス語に堪能な伝書鳩飼育係でしかないブランピック(アラン・ベイツ)を派遣させる。だが、爆破の情報に慌てた町民は全員避難して、残っていたのは精神病院の患者だけだったことから・・・
戦争をファンタジー・コメディとして描き、結果、見事なる反戦映画として昇華する傑作。
冒頭で登場してくる兵隊たちは、皆、単純でマヌケというキャラ。しかし、自分らはそれに気が付いていないという設定である。
それをワザと際立たせる動きを見せる。そして、唯一冷静で、ある程度客観的、もしくは「醒めた」性格の主人公が登場してくる。そんな彼は、本来「平和の象徴」である『鳩』の飼育係。つまり、軍隊ではエリートでも何でもないという設定だ。しかし、その鳩は、軍事目的で使用されるために飼育されている。先ず、そこに本作の主題のひとつが見えよう。
そんな主人公が誰もいなくなった歴史を感じさせる石畳の町に鳩と共にやって来て、ドイツ軍に発見され、逃げ込むのが精神病院。
そこで、偶然トランプで遊ぶ集団に紛れ込み、難を逃れるのだが、患者たちは見知らぬ若者に「アンタ誰?」と尋く。不意を突かれた彼は、眼前のカードを見て、『ハートのキング』と答える。
それが原題である。すると患者たちは『キング』に反応し、「国王が帰ってきた!」と叫びだす。ここに、「スペード」や「ダイヤ」でもなく、『ハート』ということに、映画のメイン・テーマが集約され、動きだす。
患者たちは病院を抜けだし、誰もいなくなった町に繰り出すと、思い思いの衣装を身に纏い、将軍、曖昧宿のマダム、床屋になりきっていく。
誰も、解放された楽しさと嬉しさに満ち溢れ、好き勝手な言動を取り一挙に、サーカスの中のピエロたちよろしく、ファンタジーの世界へと変貌していく。
時には、まるで印象派の絵画のような優美さと、何故か小象やチンパンジーといった動物も当り前のように町を闊歩し、チープさと侘しさ漂う場末的サーカスの世界とが混在していく。
このあたりは、見る側の感性で、一挙に醒めるか、引き込まれるかに分かれよう。もし、これがダメならば、本作は完全に「ツマラナイ」映画となるであろう。
以後、映画は一応、爆破阻止する主人公と解き放たれた素直さと純真さを体現する患者たちの、不思議な世界が綴られていく。
自分は馬鹿だと思っていない軍人たちと間逆に描かれる患者たち。中間に位置し、且つ冷めた視点で、そう、映画を見ているこちら側の感覚にも近い存在として揺れ動く主人公。
すべてか戯画化された演出と音楽。仰々しい大衆演劇のような役者たち。ファンタジーでありながら、ラストには誰が一番シニカルで醒めていたのかが強烈に浮かび上がる。
この視点こそ、流石のフランス映画と思わせる。
戦争は無益であるという反戦を叫ぶのではなく、人間自体がふとした拍子に馬鹿にも利口にもなるということをコメディとして教えてくれる秀作である。