手錠のままの脱獄 – THE DEFIANT ONES(1958年)

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スタッフ

監督: スタンリー・クレーマー
製作: スタンリー・クレーマー
脚本: ネイサン・E・ダグラス、ハロルド・ヤコブ
撮影: サム・リーヴィット
音楽: アーネスト・ゴールド

キャスト

ジャクソン / トニー・カーティス
カレン / シドニー・ポワチエ
ミューラー保安官 / セオドア・ヴァイケル
ギボンズ警部 / チャールス・マックグロー
ビッグ・サム / ロン・チャイニー
マック / クロード・エイキンズ
母親 / カーラ・ウィリアムス
少年 / ケヴィン・コフリン
ガンス / ホイット・ビッセル

日本公開: 1958年
製作国: アメリカ S・クレーマー・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

シドニー・ポワチエ主演作繋がり。今回は切れ者の刑事ではなく「囚人」。だが、黒人と白人の人種間対立をベースにしたのは同じ社会派サスペンス。

アメリカ、南部のとあるハイウエイ。豪雨の中、囚人を護送中のトラックがスリップ事故を起こした。幸い、死者はなかったが、白人のジャクソン(トニー・カーティス)と黒人カレン(シドニー・ポワチエ)が、その場から、1メートル強の鎖で繋がれたまま逃走した。

地元警察のミューラー保安官(セオドア・ヴァイケル)は、犬による追跡を試みようとした。すると部下のギボンス警部が武装警察の他に、各々がライフルを持った民間徴集隊まで同行させると言いだした。しかも、追跡犬も獰猛なドーベルマンまで導入しようとしていた。困惑する保安官だが、囚人といえども、人命最優先であると厳命し、追跡を開始しようとした。

そのとき、脱獄囚を収監していた刑務所長から連絡が入る。『追跡の必要はないものと考える。何故なら彼らは、お互いかなりの人種偏見の持主であり、すぐに殺し合うはずだ』と・・・

人種差別が横行する場所で繰広げられる複雑な人間模様を絡めた異色作。

同じ犯罪者でも皮膚の色が違 うだけで、更なる差別が当り前に起きる。本作はアメリカに限らず、世界中で未だに存在する『差別』を正面から描く骨太作。

しかも、そんな二人が一緒でないと逃げられないという状況。当初、二人がいかに皮膚の色だけで憎悪の対象になっているかを描きだす。

当然、すぐに二人は手錠を破壊し、単独で逃げようと試みる。これは皮膚の色に関係なく、理解できる設定だ。しかし、当り前であるが簡単に鎖は切れない。

それが二人の先行きを暗示する。そのために用意された『犯罪者』という設定。これが両方とも善人であり、根強い差別感と劣等感を胸に押し入れつつ進行するのでは、観客側は嫌悪感を催すかもしれない。

当初、白人は南米あたりに逃げたいと思い南を目指したがる。一方で黒人は、差別が強い南部などでなく、北に行きたがる。

さもありなんである。しかし、二人は鎖で繋がれたままだ。お互いがいがみ合っても、協力しなければ逃亡は覚束ない。

やがて、イヤでも行動を共にするうち、お互いが何故犯罪に走ったかというバック・ボーンが見えてくる。

それでも協力し合わなければならないのだ。殴り合い、殺し合っても、死体を引き摺りながら逃げられるはずもない。

そんな二人を追う警察側の設定も興味深い。保安官はドイツ系だ。彼が一番、冷静であり慈悲深い設定である。それ以外は、いかにもの南部系白人ばかり。皮膚の色に対するあからさまな差別感はないものの、「脱獄囚」などに人権などないと思っていて、「ウサギ狩り」と同レベルでしか考えていない。

更に主役の二人が逃げながら出会っていく人間たちも、敢えてここでは細かく触れないが、非常に印象的な人物ばかりである。

些かステレオ・タイプだし、進行やラストなどある程度観客の想像通りに進行するが、それでも皮膚の色に関係なく赤い血が流れる人間という『共通性』と地域や、育った環境であからさまに違っていく『価値観』。

解りやすい設定にしてカメラ・ワークや、サスペンスを盛上げる作劇法にも妙味を感じる、良く出来た作品である。

余談雑談 2011年3月26日
地震の余波が続いている。 首都圏では、原発の問題から、計画停電、いつ起きるともしれない大きな余震へ恐怖、政府やマスコミに対する不信感などで心身共に不安定な状況が続いている。 いざというときの買占めが起きたかと思うと、野菜摂取の恐怖へと拡がり