はじめての大切なもの(未) ーLA PRIMA COSA BELLA(2010年)

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スタッフ
監督:パオロ・ヴィルツィ
製作:ファブリツィオ・ドヌイート、マルコ・コーエン 他
脚本:パオロ・ヴルツィ
撮影:ニコラ・ペコリーニ
音楽:カルロ・ヴィルジ

キャスト
ミケルッツィ / ヴァレリオ・マスタンドレア
アンナ(1971.81) / ミカエラ・ラマゾッティ
アンナ(2009) / ステファニア・サンドレッリ
ヴァレリア / クラウディア・パンドルフィ
ネージ / マルコ・メッセーリ
サンドラ / ファブリツィア・サッキ
マリオ / セルジオ・アルベッリ
レンツィ / エマヌエーレ・バレッシ
チェネリーニ / ダリオ・バッランティーニ
クリスティアーノ / パオロ・ルッフィーニ

製作国: イタリア メドゥーサ・フィルム作品
配給: なし


あらすじとコメント

しばらく<番外編>をだしていなかった。通常だったら、日本映画を扱うのだが、今回は、先日の<余談雑談>で書いた「イタリア映画祭2001」で見た作品にした。

ここで扱っても、仕方がないかもしれぬ。でも、もし、どこぞの配給会社の関係者の目にとまり、日本公開を検討してもらいたいという意味を込めてみる。

イタリア、ミラノ。専門学校の講師ミケルッツィ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は、神経を病み、揚句、薬物依存症だった。平素から落ち着きがなく、恋人と同棲中ではあるが、結婚は意識していない。

そんな彼は、自分が今のような神経質で情緒不安定になったのは、母親の影響だと信じていた。

ある日、彼の元へ、妹がやって来た。「どうして兄さんは逃げてばかりいるのよ。母さんは医者からも見放されたのよ。一度ぐらい顔を見せに行ってあげなさいよ」。何とか、逃げようとするミケルッツィだが、結局、妹に連れられ、生まれ故郷であるフィレンツェ近郊のサナトリウムにいる母の元へ行ってはみるが・・・

バタ臭さとシニカルさが入り混じるイタリア喜劇の真骨頂。

映画は冒頭、1971年の夏から始まる。どこかローカル色漂う避暑地で、家族で来ていたお色気ムンムンの二人の子持ちの母親が『ミス・母親』なるイベントで優勝。周りは避暑客だけで、酒も入っている男たちから好奇の眼一色で見られる始末。

3歳の娘は母親の優勝に大喜び。だが、8歳になる長男は、母親が誰かに取られるのではないかという不安と、冴えない旦那は、スケベ心満載の周囲の目に憮然とする。素直に喜んで席に戻る妻をいきなり、嫉妬の眼差しと共に叱責する亭主。

この冒頭から、ニヤニヤしてしまった。続いて、現在の専門学校講師の場面になる。つまり、その教師こそが、38年後の息子なのだ。

映画は、彼の母親がどのような人生を送ったかを71年、81年、そして2009年の現在を行きつ戻りつしながら進行し始める。

この母親は根は善人だが、少々オツムが弱い。それでいてセクシー。タダでさえラテンの国、イタリアだ。男たちが放っておくはずがない。

ミスコン後、亭主は遂にDVとなり、子供を連れ家出。雨の中、独身の姉の家に転がり込むが、子供らには優しいが、何故か彼女につらく当たるので、そこも飛びだす。どうやら姉妹の関係にも因縁がありそうである。

そこで仕方なく安ホテルに行くと、いかにもカツラで、亭主同様に冴えない映画評論家に声を掛けられ、「君だったら女優になれるから有力者に紹介してやる」と言われる。

母親は素直に目を輝かす。その先は、観客の想像通りの成り行きが待ち受ける。

だからコメディなのだ。

頭は良くないがお色気がある女性が辿る運命は明白だと見せて行く展開から、長男はそんな母親を疎ましく思いながら成長して行く。しかし、母親は悪びれるでもなく、子供らを溺愛し、くじけそうになると三人で歌を唄ったりとバイタリティの塊であり、妙に前向きだ。そのことが長男の心に傷を付けて行くのだが。

先ず、過去と現在を行きつ戻りつしながら、登場人物それぞれの個性を全面に際立たせる脚本が素晴らしい。また、各世代の主要人物を演じる役者たちも皆、巧妙で統一性がある。その上、家族たちに絡むサブキャラも30年に渡り何度もでて来ては、絡んでくるという筋運びも面白い。

まるで、市井の人間の悲喜劇を見事に描破したピエトロ・ジェルミ監督の往年のバイタリティ溢れる脂っこくバタ臭い喜劇と、フランス映画の隠れたる傑作で、アメリカのアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「さよならの微笑」(1976)に通じるシニカルさを兼ね備えたコメディでもある。

70年代当時の音楽の使い方や、ファッションや風俗の見事なまでの再現も、実に心地良い。しかし、何といっても白眉なのは、病床に伏しながらもバイタリティの塊という現在の母親役を演じるのが、何と往年の女優ステファニア・サンドレッリということ。

ピエトロ・ジェルミ監督とマストロヤンニの「イタリア式離婚狂想曲」(1961)から、ジャン・ポール・ベルモンド主演の「タヒチの男」(1966)、ベルトルッチの「暗殺の森」(1970)などで活躍した女優で、老いても尚、その色気と存在感は圧倒的である。

劇中、母親がエキストラで映画に出演するシーンでは、ディーノ・リージ監督、マストロヤンニ主演の「結婚宣言」(1970)が登場し、ソックリさんが笑わせてくれて、往年の映画ファン心理もくすぐる。

単純なコメディと見せかけて大いなる人間賛歌として昇華する。

大スターもでていないし、監督も無名。だが、ある意味、個人主義が定着した成熟した社会に於ける、人間の「業」というか、「生き方」には惹かれる。

余談雑談 2011年5月8日
本来なら、ここで「都々逸」だ。 でも、扱ったのが日本映画でもないし、何とはなく、まだそんな気分でもない。 毎週、発行をしているが、どのような読者に読んでもらっているかは計り知れない。 もしかして、配給会社なり、映像関係者なりがいらっしゃるの