激動の昭和史 沖縄決戦      昭和46年(1971年)

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スタッフ
監督:岡本喜八
製作:藤本真澄、針生宏
脚本:新藤兼人
撮影:村井博
音楽:佐藤勝

キャスト
牛島中将 / 小林桂樹
長参謀長 / 丹波哲郎
八原参謀 / 仲代達矢
太田少将 / 池部良
神航空参謀 / 川津佑介
比嘉三平 / 田中邦衛
賀谷大佐 / 高橋悦史
目軍医大尉 / 岸田森
比嘉主任軍医 / 加山雄三
渡嘉敷良子 / 酒井和歌子

製作国: 日本 東宝作品
配給:


あらすじとコメント

1945年6月23日。この日は、沖縄戦が終結した日である。終戦といえば8月15日であるが、沖縄では、この6月23日こそが『終戦』だと捉えている人も多い。それは何故か。答えは本作の中にある。

昭和19年夏。米軍の圧倒的な攻勢によりサイパン島が玉砕。大本営は、次の侵攻ルートは、フィリッピンか、台湾か、沖縄かで混乱していた。そんな中、本土防衛の要として、陸軍は大兵力を沖縄へ投入した。

指揮官は陸軍士官学校校長で温厚なる人格者の牛島中将(小林桂樹)であった。参謀長は長少将(丹波哲郎)、参謀には八原大佐(仲代達矢)ら、曲者が揃った。

大本営は、沖縄各地に航空基地を作り、島自体を「不沈空母」として機能させようとしていた。しかし、八原は、物量で圧倒的に劣る日本軍では、それは無駄な行動であり、それよりは、地形を生かした「洞窟陣地からのゲリラ戦」を主張した。牛島らは、それに同意するが、メンツを潰された大本営は激怒し、兵力のほとんどを移動させてしまう。

窮地に陥る牛島ら。そんな折、遂にアメリカ軍の空爆が始まって・・・

悲惨で凄惨な歴史を描く戦争巨編。

ある意味、日本本土としての、唯一の戦いが行われた沖縄。かつては「琉球王国」と呼ばれ、日本に帰属してからは、ほぼ顧みられることのなかった場所でもあった。

既に戦争の行方は決していた時期。しかし、大本営は、嘘の情報を流し続けていた。当初は、本土防衛の要として大部隊が投入され、自分らも重要と認知されたと素直に喜ぶ島民たち。だが、遠隔の地でエリート意識と精神主義の強い上層部たちは、自分らの意見が通らないと見るや、直ちに報復的命令で、大部隊を移動させる。

特権意識の高い人間たちは、国民のことを考えている素振りを見せつつ、最終的には、ものの数には入れない。いつの時代も同じであり、結局、一番の貧乏くじを引かされるのは、現地の市井の人間たちである。

岡本喜八監督は、日本軍兵士として生き残った贖罪の念があり、常に自分の作品にそのことを投影させてきた監督でもある。

本作同様、東宝が社運を賭けて製作した戦争巨編「8・15シリーズ」の第一弾「日本のいちばん長い日」(1967)で、大本営と政府側から終戦を描いた。しかし、市井の人間たちを描けなかった監督の気持ちは治まらず、自主制作として、戦争に翻弄される青年を描いた「肉弾」(1968)を発表した。

それでの再登板である。しかし、既に映画界は斜陽産業であり、前のように製作費を掛けられない中での本作である。監督の苦心は相当のものであったであろうと容易に推察は付く。それがストレートに画面に焼き付けられている。

つまり、映画としては、かなり破綻していると感じさせる失敗作なのだ。それは監督自身の思い入れと贖罪の念が、上手く作用しなかったからである。

「日本のいちばん長い日」では、監督自身が感情移入できないからこそ、冷徹に骨太作として描けた。逆に「肉弾」では、低予算ゆえに、絞り込んだ描き方が出来た。それが本作は中途半端な大作として製作されたので、どちらにも属せなかったと感じた。

確かに悲惨な結末に直進して行く内容である。その悲劇性を強調するために、ドキュメンタリー映像や、累々たる死者たちの凄惨な写真が数多く写しだされる。更に、特攻兵や急造の中高生たちの軍属により書かれた遺書が朗読されたり、女学生で編成された「ひめゆり部隊」や、一般人たちが、いかに自決して行ったかという、目をそむけたくなるシーンが連続して登場してくる。

しかし、そこに監督の優しさと贖罪が入り混じり、予算の関係と相まって、中途半端さが際立った。

そうはいっても、喜八一家である脇役陣の岸田森や高橋悦史等の演技は、監督の意図を汲み、緩和剤として機能している。

ここで扱うのを機に、10年振りに再見したのだが、個人的に一番ショックを受けたことは、映画自体より、あまりの美しさに、気に入って何度か訪れた渡嘉敷島島民たちの信じ難い悲劇の実話であった。とある夏に訪れた際、定宿にしている民宿の御主人が、「今年も6月23日に靖国神社に参拝が出来た」と言っていた言葉の重みを知った。岡本自身、本作製作後、妻に「観光で沖縄に行くな」と言った意味も理解できた気がした。

東日本大震災での死者、行方不明者は3万人に迫る。確かに、災害と戦争とはまったく別のものであるが、このときの沖縄軍の死者10万人。そして、県民の死者15万人であり、全島民の3分の1であった。

それを考えると、映画としては失敗作であるが、日本人が経験した歴史から眼をそむけてはいけないと感じさせる大作である。

余談雑談 2011年6月23日
今回の都々逸。 「はげしい雨音 小さな声で 傘が無いのと粋な謎」 梅雨の時期だし、これを選んでみた。ここ何年も、亜熱帯のスコールのような、激しい雨が降ることがある。だが、この謳は、そんな状況を思い浮かべると風情がない。 まあ、本来であれば、