スタッフ
監督: ロバート・マリガン
製作: アラン・J・パクラ
脚本: ウェンデル・メイズ
撮影: チャールス・ラング
音楽: フレッド・カーリン
キャスト
ヴァーナー / グレゴリー・ペック
サラ / エヴァ・マリー・セイント
息子 / ノーランド・クレイ
ターナ / ロバート・フォスター
ネッド老人 / ロバート・ソーソン
少佐 / フランク・シルヴェラ
駅員 / ルー・フリッツェル
ダース / チャールス・タイラー
サルヴァエ / ナサニエル・ナーシスコ
日本公開: 1969年
製作国: アメリカ NGP作品
配給: 東和
あらすじとコメント
グレゴリー・ペック主演作。ペックといえば、ここでも以前扱ったアカデミー主演男優賞を受賞した「アラバマ物語」(1962)が、やはり代表作だと挙げる人もいるだろうか。その監督と制作者と再び組んだ作品。どんなヒューマンな作品かと思いきや、何と西部劇。しかも異色だ。
アメリカ、アリゾナ。1881年、先住民たちが特定居留区に押入れられていたころ。その場所を嫌い、脱走したアパッチ族の一団を追って、騎兵隊が収容に向かった。
その先導を切るのは、この道15年のヴェテラン・スカウト、ヴァーナー(グレゴリー・ペック)である。彼はインディアンとのハーフの息子を自分の後継者とし、自身は今回の仕事で引退を決めていた。
彼らは、アパッチ団を見つけ、拿捕したが何と老人や女子供たちばかりであった。その中に、白人女性のサラ(エヴァ・マリー・セイント)が、彼同様、インディアンとのハーフの男児を連れているのを発見。そして彼女の名字を聞いて驚く。10年前に、全滅した隊の隊長の娘だったのだ。しかし、何故、インディアンと行動を共にしているのか。
不思議に感じながら、隊は途中、白人三名が虐殺されている現場にでくわす。ヴァーナーは、その手口から、アパッチのサルヴァエの仕業だと特定した。
その名前を聞いた瞬間、サラは・・・
異様な緊張感が漲るサスペンスフルな異質西部劇の佳作。
制作当時はすでに、西部劇の全盛は過ぎ、様々な試みが行われていたジャンルであった。本作もそんな背景を、かなり考慮して制作された一作と言える。
冒頭から、騎兵隊の制服や先住民らの衣装もリアルで、汗くささと埃にまみれた感じだし、荒野にポツンと建つ建造物なども同様である。
そのような描き方から、本作は、単なる娯楽映画とは感じさせないし、既に市民権を得ていたアメリカン・ニュー・シネマの雰囲気も漂う。
ところが、ヒロインが恐れおののくあたりから、いきなり変調し、急にミステリアスな雰囲気が漂いだす。そして観客が想像する通りの謎解きが待ち受ける。つまり、白人を惨殺したのは、彼女の夫であるアパッチの戦士で、当然、彼女が連れているのは息子である。
物語は、白人である彼女は、生まれ故郷へ帰るのがベストだということになり、主人公が鉄道の駅まで送ることになるが、途中で、また惨殺事件が起きた現場に遭遇するという展開。
しかも、惨殺シーンは一切描かれず、一体どのような相手が、どのような武器や戦術を用い、一人で数名を殺害したのか。
実にミステリアスな進行。そして主人公は、温情から彼女の生まれ故郷でなく、遠隔地であるニュー・メキシコの自分の終の棲家へ母子を連れて行く。
そこでまた、変調である。長い間、俗世界から隔離されていた白人女性と言葉も通じなり混血少年。静かな余生を送ろうと、隠居を決めた主人公。そんな彼の息子も、混血青年であることから、相通じるものがあったのであろうか。
そんな中で、今後この三人が、新天地で上手く打ち解けるかという話になる。背景は、のどかで自然豊かな渓谷。だが、やがて、音もなく、誰かが近付いて来るという恐怖。
原題は「ストーキング・ムーン」。『付きまとう月』ということだが、つまり、現在は単語として、完全に認知された『ストーカー』である。
実際に、ストーカーのよる犯罪も増加し、その恐怖は単語からも想像が付くだろう。それが映画を通し描かれる。しかも、何とも怖い作劇によってなのだ。
主役のペック、監督のロバート・マリガン、制作者で後に監督にもなるアラン・J・パクラは「アラバマ物語」というヒューマニズム溢れる秀作を世に送りだしたトリオ。
そんな彼らが、ガラリと違う作品を作った。しかし、流れるのは『家族』に命を賭す男であり、当然、彼自身の正義感なり愛情は、単純に順風満帆な人生は過ごせないというスタイルは統一されている。
そこに見いだすのは、『愛情』のためには『力による正義』が、それこそ『家族愛』という論理。まさに「フロンティア・スピリッツ」であるのか。しかし、たった一人で戦い挑んでくるマイノリティとて同じ『父親』なのだ。
終盤まで姿を見せない「プロ」としての描かれ方は、どこか日本における「忍者」のような崇高さが感じられた。
異質な西部劇として良くできていると言えようか。