スタッフ
監督: ヘンリー・ハサウェイ
製作: フレッド・コールマー
脚本: ベン・ヘクト、チャールス・リーディラー
撮影: ノーバード・ブロダイン
音楽: デヴィッド・バトルフ
キャスト
ビアンコ / ヴィクター・マチュア
ディアンジェロ / ブライアン・ドンレヴィ
ネティ / コリーン・グレイ
ユードー / リチャード・ウィドマーク
ハウザー / テーラー・ホームズ
カレン / カール・マルデン
マックス・シュルツ / ミラード・ミッチェル
リゾの母親 / ミルドレッド・ダノック
刑務所長 / ハワード・スミス
日本公開: 1952年
製作国: 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
好きな俳優のひとりで、幅広い芸域を持つリチャード・ウィドマークの出演作で繋げた。どうせだから、彼が鮮烈なデビューを果たした犯罪映画にしてみた。その見事なる悪役っぷりは、今見ても何ら遜色はない。
アメリカ、ニュー・ヨーク。前科者ゆえに仕事にありつけないビアンコ(ヴィクター・マチュア)は、幼い娘二人へのクリスマス・プレゼントにも事欠く始末だった。
そんな彼は、仲間三人と組みクライスラー・ビルの24階にある宝石商に強盗に入った。首尾良くことが進んだが、ビルをでる寸前、警報装置の作動から駆け付けた警察にビアンコだけが撃たれて、逮捕されてしまう。
担当検事のディアンジェロ(ブライアン・ドンレヴィ)は、仲間の名前と引換えに減刑するとの司法取引を持ちかける。しかし、彼は拒絶し、刑務所送りとなる。
その護送中、只者ではない雰囲気のユードー(リチャード・ウィドマーク)と知り合って・・・
悩める前科者の再起を描くフィルム・ノワール。
どこか紳士的な雰囲気を持つ前科者。今回も、スリルや自己満足のための犯罪ではなく、怪我人さえださない強盗に入る。
そんな主人公の性格を一瞬で見抜いて、司法取引を持ちかける地方検事。検事も何とか彼を更生させたいと思っている。さてさて、そんな設定をどう転がして行くのか。
ストーリィは、主人公の服役中に最愛の妻がガス自殺し、幼い娘二人が孤児院へ送られたことを知るという展開になる。何故、そんなことになったのか。その情報を伝えに来る元隣人の若い娘。そして、暗黒街に太いパイプを持つ主人公の担当弁護士らが絡んでくる。
こういった展開はありがちではある。ただ、秀作「裸の町」(1948)よりも一年早くNYの街並みを生かしたセミ・ドキュメンタリー・タッチで押してくるヘンリー・ハサウェイ演出は見応えがある。
しかし、何といっても、本作の白眉は、間違いなく、儀幕デビューのリチャード・ウィドマークの圧倒的存在感である。ただ、デビュー作だけあり、どこかオーバー・アクト気味な、大袈裟で作り過ぎ感のある演技は、所々、鼻には付くが、それでも、中盤から登場し続けるウィドマークの悪役演技は、他の俳優陣の印象を払拭するだけのパワーがある。
車イスの女性を冷たい笑みを浮かべつつ、階段から突き落とすという、当時としては、かなり衝撃的なシーンを嬉々として演じ、以後、暫く彼の役柄が確定して行くのも頷ける。
しかも、ハッキリ言うと、他の主演陣がいただけないのだ。どう見ても根は善人で、誰からも紳士的に見られる主人公を演じる、ビクター・マチュアは元々、大根役者であり、黙って突っ立っていれば、それなりに見えるという存在感もない。更には、悪役専門だったブライアン・ドンレヴィが正義の味方「検事」という、逆説てなキャスティングも、フィットしているとは言い難い。
つまり、デビューしたてのウィドマークの未熟さを、逆に掻き消してくれているとも感じた。ウィドマーク自身が、それを知ってるかどうかは別として、以後、彼は主役を喰う脇役として、存在感を増大させていく。
都合良過ぎる展開や落とし所など、時代性を感じる作品ではあるが、単なる犯罪映画に終わらず、弱い人間の転落と再生という社会派を絡ませた意欲作という作品である。